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      <title>ヨーロッパの思い出</title>
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      <description>公文式さいたま新都心仏独通信教室 専任担当　藤本修一</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Sun, 01 Jun 2008 08:59:43 +0900</lastBuildDate>
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         <title>グリムの里　グリムの森　石橋</title>
         <description><![CDATA[<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-1-1.jpg">
</CENTER>

先日　栃木県の氏家まで　宇都宮線に乗って行く途中でした。　宇都宮のふたつ手前の駅　『石橋』という駅に　停車したとき　丁度座席のところから「グリムの里」という文字が　見えたのでびっくり致しました。
どうして　グリム？と一瞬唖然としました。
　


家に帰ると　たまたま　石橋にお住まいの　Ｈさんの学習された　プリントが届いていたので　連絡簿に　ひと言書いたら　すぐ折り返しに　ていねいなお手紙と一緒に　姉妹都市の概要と　ヘッセン州　Dietzhölztal　Steinbrücken 　と　その周辺の地図が　届きました。
石（Stein）橋（Ｂrücken　）という同じ名前の独協大学の石橋教授の橋渡しにより昭和４１年に両町民の作文交換に始まり　昭和５０年に姉妹都市締結をされた由　何故グリム？　というと　グリムの生まれ故郷は　同じ　ヘッセン州　ハナウ　だからだ　という理由の様です。
Steinbrückenというので　Saarbrücken　<em>(私の勤めていた会社が　Grundigの廃工場を買い受けて工場を　立ち上げるとき　しばしば訪問した)</em>　の　近くだろうと思っておりましたが　同じ　Brücken　でも　かなり　離れた　ところにありました。

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-1-2.jpg">
</CENTER>

石橋駅から　バス５分　徒歩８分のところに　グリムの森　があり　その中に　ドイツのレッチンゲン庁舎をイメージした　「グリム館」があります。

展示ホールの　中に　グリムの家系図、年譜、　そして　くもん出版　提供の　写真＜藤崎　康男　撮影＞　という　下記の　いくつかの写真が　展示されていました。

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-1-3.jpg">
<em>展示ホール</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-1-4.jpg">
<em>グリム兄弟の　Hanauの生家　近くの　風景　
ヤコヴ・グリム　６歳まで, ウィルヘルム・グリム　７歳まで, ハナウにて　幼少期を　過ごしたが生家は第二次大戦で戦災にあって残っていない。
</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-1-5.jpg">
<em>1791年	父親がシュタイナウ領主務官兼法官に任命され　転居. グリム一家は　裁判所であったこの建物の１階に　1798年まで　７年間ヤコヴが　13才まで　住んでいた。現在はグリム記念館　となっている。　
1985年の　グリム兄弟200年記念公文旅行のとき　公文　公先生と　ご一緒に訪問しました。
</em></CENTER>


<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-1.jpg">
<em>マールブルグ大学
1796年父親は死亡したが　伯母の援助で　1802年ヤコヴ　1803年　ウイルヘルムがマールブルグ大学で　法律学を学ぶ。ザヴィーニ助教授に熱心に師事し、一生の方向を決定されるような影響を受けた。
</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-2.jpg">
<em>カッセルのグリム博物館
1798年からの住居　ヤコブは　一生独身だったが　ヴィルヘルム結婚後も二人は同居し,大学入学の食い違い期間と旅行期間を除き、終生一つ屋根の下で生活を共にした。
</em></CENTER>


<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-3.jpg">
<em>グリム兄弟広場
グリム兄弟を偲び　今でもBrüder-Grimm-Platz　として残っている。
</em></CENTER>

以上５点の写真は　展示ホールにある　くもん出版　藤崎康男　撮影の写真を　撮影したものです。

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-4.jpg"><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-5.jpg">
<em>２階にある　図書コーナー　（グリム童話ライブラリー）ドイツ語の原書をはじめとしてフランス語・英語・日本語訳　の　グリム童話があり　読めるようになっているが　貸し出しはされていない</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-6.jpg"><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-7.jpg"><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-8.jpg">
<em>２階の　Café Pause  は　大変くつろげる雰囲気で　ドイツビール　Ｌöwenbräu も味わえます
</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-9.jpg">
<em>マルクト広場（フリーマーケットが開かれる）</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-2-10.jpg">
</CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-3-1.jpg">
<em>屋外トイレ（トイレに至るまでドイツをイメージされて作られている）</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-3-2.jpg">
<em>７人の小人の広場</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-3-3.jpg">
<em>隣の　石橋中学校　黒川紀章設計による　ユニークな　中学校
</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-3-4.jpg">
<em>近くの　姿川アメニテイパーク静かで　癒されます。
</em></CENTER>

グリムの館には　その他　300人　収容の　多目的ホールがあり　５月５日には　人形劇　「ブレーメンの音楽隊」が　上演されており, 今後は
・６月１日（日）　第１１回「グリムのおはなし・人形劇フェスト」
・７月２８日（月）自然観察会「グリムの森　に親しもう」
・８月　企画展　「児玉清が作る切り絵ワールド・グリム童話の世界」
などが予定されています。

今は　合併されて　下野市石橋となっていますが　グリムの里　グリムの森　が作られた　１９９６年頃は　人口わずか２万人の　石橋町で　日本にいて　ドイツに行ったような　やすらぎを与えてくれる　雰囲気を　創造された　努力は　他に類をみないのではないだろうか　と　思われます。　

どの姉妹都市もやっている　　市民交流・医療交流・学生交流　と　さかんに活動がなされていますが　それは　極めて　小人数のための　ものであり 市民の誰もが　ドイツ独特の　「やすらぎ」や　「　癒し　」を　感じられる施設は　　残念ながら　全くないようです。

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-3-5.jpg">
</CENTER>

石橋町　の　場合は　小さいながらも　小さい幼児から９０歳の老人までが　ドイツの静かさ　・やすらぎを感じられる　ふるさと　創りに　町全体で取り組まれました。　楽しかったヨーロッパの生活を　思い出させる「　グリムの森　」　「グリムの里」でした。
皆さんも一度訪問してみてグリムの世界を味わって下さい。

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/grim-3-6.jpg">
<img src="http://www.e-kumon.net/grim-3-7.jpg">
<em>上野から　JRで　100分　の　石橋駅前の　からくり時計</em>
</CENTER>]]></description>
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         <pubDate>Sun, 01 Jun 2008 08:59:43 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>初めての　ドイツでの　クリスマス</title>
         <description><![CDATA[ドイツでは　クリスマスの４週間前の日曜日から始まる期間が Advent（待降節）と呼ばれる期間です。今年は12月3日の日曜日から始まりました。
　教会にも個人の家にもそして商店にも Adventskranz と呼ばれる樅の小枝で編んだ輪が飾られます。この輪にはろうそくが４本立っていて日曜ごとに１本ずつろうそくを灯していきます。そして　12月 10日に 2 本目のローソク 17日に 3 本目のローソク
そして　24日のクリスマスには　４本のローソクが　灯され　クリスマスを祝います。
　　1981年の夏　ドイツ　ドッセルドルフに　赴任しました。
　その年の　クリスマスの日　フランスDijonの　得意先　オレガ工場から　兼ねてから　「納入した機械設備　が　不具合があるので　クリスマスの休みの日に　修理点検して欲しい」と　言われていたので　ドイツ人の技術者を連れて　23日　Dijon に赴きました。　仕事が終わって　　24日早朝　Dijonを　出たのですが　当時未だTGV もなくクリスマスというので　列車　及び　飛行機が　まともに　運行されていなく　途中の駅で　２～３時間止まったりして　やっとの思いで　ドッセルドルフに　たどり着いたのは　夜8時頃　でした。
　単身赴任でしたので　毎日レストラン通いでしたのでいつもの日本レストラン　に　行きましたが　geschlossen （閉店）の　札が　架かっておりました。　ドイツレストランも含め　全てのドッセルドルフの　レストランも同じく　閉店でした。　レストランどころか　街を歩いている人が　一人もいなく　ドッセルドルフの街全体が　ゴーストタウン　となっているのに気がつきました。
　仕方がないので　自分のアパートに戻りました。　ドイツのマンション（ドイツではマンションとは言わず　die Wohnung ) は　整然と建てられていて　４棟の　マンションで　四角に囲まれたところが　内庭になっていて　自分の部屋から　５～６００の家庭の裏窓が見えるように　建てられています。
　窓越しにみる　各家庭のベランダが　毎週　明るくなっていき　真っ暗の中に５～６００ローソクの明かりで　飾り付けをした　クリスマスツリーが映えて　異様な雰囲気ですがそれぞれの各家庭で　クリスマスを祝っている様子が　手をとるようにわかる　厳粛な静かな　夜でした。　はじめてのドイツでのクリスマスで　Adventskranz　なるものは知らなかったので　感動しました。　素晴らしい　夜でした。

　後で　事務所に行って　このことを　ドイツ人に　話すと　ドイツでは　クリスマスの４週間前から　クリスマスを迎える準備としてAdventskranz　の　ローソクを　１週間に１本づつローソクを　灯して行き　２４日のクリスマスイブのときには　４本のローソクが満開するとのこと　そして　この夜は　家庭だけで　祝い　例え　兄弟でも家には入れない　とのこと　飲み屋や　キヤバレーで　大騒ぎする　日本のクリスマスとは　対照的で　宗教心のない日本人には　学ぶべき点の一つと思います。

毎年12月6日は　Nikolaustag　です。

ドイツの子供たちは　長い靴などを　５日の夜　ドアの前に置き６日の朝　ニコラウスが　プレンゼントを　持って来ます。
Weihnachtsmann　サンタクロースは　12月24日に来ます。
ドイツの子供たちは　ニコラウスから　キヤンデイ　などの　こまかい　プレゼントをそして　クリスマスには　サンタクロースから　長い間欲しかったものを貰います。
つまり　１２月には　２回のプレゼントを　貰うのです。
　一方　フランスでは　サン・ニコラスの風習は全くないそうですが　スイス　の　ドイツ語圏　　フランス語ドイツ語を話す　アルザス　には　この風習があるそうで　言葉と風習が一致しているところが　非常に面白いと思います。

<img src="http://www.e-kumon.net/dch.jpg">]]></description>
         <link>http://www.e-kumon.net/2007/12/post_27.html</link>
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         <pubDate>Wed, 19 Dec 2007 00:17:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>おとぎの国のような　アルザスワイン街道</title>
         <description><![CDATA[前回　鉄道の旅をご紹介致しました。しかし　どうしても車で　欧州を旅行したいが　という方もおられます。　確かに　旅は　人生のロマンです。

  | 日本人が余り行かないような見知らぬ処に　
  | 行きたいときに　時刻表なしで（　汽車とか飛行機の時間の制約なしに）
  | 家族だけ　とか　親しい人達だけで　
  | 現地の人達と　英語圏では英語で　フランス語圏では　フランス語　ドイツ語圏ではドイツ語で　話し合いたい

と云うことであれば　ツーアではなく　レンタカーということになります。
<CENTER>―――　　　　　―――</CENTER>
欧州は　車は右側通行で大変危険ですが　アウトバーンではなく　Landstrasse(一般道)だけでドライブできる　アルザス地方の　150キロの　ドライブは如何でしょうか？　　道が単純なので　道に迷うこともありません。

<em>
アルザスについて公文フランス語　Ｄ教材４７に　下記の点描があります。
Nous voici près de la frontière allemande,en Alsace.
La maison alsacienne a une architecture particulière. Les toits sont très pentus.
Quelquefois,des cigognes font leur nid sur les chminèes. Voulez-vous goûter à la cuisine alsacienne ?　Au restuarant, on peut savourer saucisses, choucroute,vin blanc et tartes.
「私たちはドイツ国境の近く、アルザス地方にいます。アルザスの家は特徴のある造りしています。屋根はとても傾きが急です。時々　＜こうのとり＞がその巣を煙突に作ります。
あなたはアルザス料理を試食してみませんか？　　　レストランで　ソーセージ、塩漬けのキヤベツ　白ワイン　や　タルトを　味わうことができます。」
</em>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza1.jpg">
<em>ストラスブルグの前の薬局</em></CENTER>
<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza2.jpg" width="660">
<em>Petite Venice と呼ばれるコルマール</em></CENTER>

昔ドーデのアルザス地方を舞台とした『最後の授業』（Alpfnose DAUDET, La dernière classe,1873）という短編を読んで是非その舞台になった小学校に行ってみたいと　思っておりました。　というのは　このアルザス地方は　17世紀以来　独仏の戦争で　ドイツ領になったりフランス領になったりしいました。　1870年の戦争で再び　ドイツ領となったとき

「みなさん　私がフランス語の授業をするのはこれが最後です。これからドイツ語しか教えてはいけないという命令がベルリンから来ました・・・（以下略）」

という有名な文章があります。　実際　この小学校は実在してなくドーデの作り話だったことがわかりましたが　歴史的にこの地域ではドイツ語・フランス語が混在しております

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza3.jpg" width="660">
<em>街の標識には月曜を除いて6時から14時　まで市　開催　許可済ということを仏・独　の　2ヶ国語で書いてあります。
</em></CENTER>

日本は第二次大戦に敗れましたが　幸いにも我々は　日本語を話せるということは　本当に幸せに思います。

ボルドーやブルゴーニュ程知られていませんがアルザスのワイン街道ドライブも
素晴らしいです。ドイツ国境近くのStrasburgストラスブールから　コールマールColmal
までの　150km の間の一般道のドライブは　綺麗な花に囲まれたおとぎ話
の道のようで　ライン川に平行して　ヴォージュ山脈の麓に　オベルネ（Obernai）　バール（ Barr ）セレスタ（Selestat）リボーヴール（Ribeauville ）　リクヴィール（ Riquewihr ） カイゼルスベルグ（Kaｙsersberg）と　ブドウ畑が続き　アルザス特有の伝統的な木組みの家々に（maison à colombage）花咲き誇る村が点在する丘陵地帯は　きっと満喫されることと思います。

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza4.jpg" width="660">
<em>ストラスブルグ　（Ｓｔｒａｓｂoｕｒｇ）
Petite Franceと呼ばれるきれいな街です。伝統的な木組の家 maisons à colombageが並ぶ旧市街　は素晴しい散歩道となります。</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza5.jpg" width="660">
<em>コルマール（Colmal）
Petite Venice と呼ばれる地域　運河沿いに古い家・レストランが並び静かな雰囲気を楽しめる奇跡的に二度の戦禍から免れ中世の家が残っている。</em></CENTER>


<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza6.jpg" width="660">
<img src="http://www.e-kumon.net/arza7.jpg" width="660">
<em>コルマールより12キロ北西に入ると中世の雰囲気そのまま木組みの家がそのまま残っているカイゼルベルグ（Kayserberg）ノーベル平和賞のシュバイツアー博士はここで生まれました。後ろは生家（博物館）</em></CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza8.jpg" width="660">
<img src="http://www.e-kumon.net/arza9.jpg" width="660">
<em>コルマールより5～6キロ南のエキスハイム（Equisheim）と　そのDégustation(ワイン試飲場)</em>
</CENTER>

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza10.jpg">
<img src="http://www.e-kumon.net/arza11.jpg" width="660">
<em>ブドウ畑の真珠と讃えられるリクヴィール（Riquewihr）ここもすぐ近く。</em></CENTER>

英国を除くヨーロッパでのドライブは　車は右側通行なので　慣れないと大変危険です。しかしドイツで仕事をするということになると　日本ほど鉄道・バスが発達していないので　車　がないと　全く仕事になりません。　特に我々の仕事は郊外にある工場に電子部品を売り込む仕事でしたので　出張というと　必ず車でした。日本から赴任すると　当社では　必ず数時間の自動車学校Fahrshuleの実地訓練を受けねばなりません。　ドイツのアウトバーンのハイスピードに最初は誰でも怖がっているものの3ヶ月も経つとスピード狂になって　200キロに挑戦したりするものです。

<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/arza12.jpg">
<em>ドイツ赴任して日本の免許証をKonsulat領事館に持って行くと仮免許に書き換えてくれ　その後 1年間無事故であれば　ドイツの免許証を取得できます。日本と違って　その免許証の書き換えがないので　今でもこの免許証で　運転できます。
</em></CENTER>

『車の旅なんて運転は大変　道もわからないし　ツーアの方が楽じゃないの』と云われます。　確かにその通りです。今までにいろんな失敗もして来ました。
  ・イタリアで　フィレンチェからのピザの斜塔を　見に行くため　前夜ピザに行く途中の山の中で　ガス欠になりたどり着いた無人ガソリンスタンドがコインがないとガソリンタンクが作動しなく暗闇の中に途方にくれていたら　見知らぬ通りがかりの旅の人が　コインをくれて　感激したこと
  ・初めて行くところに　ホテルを予約して行くと　道路事情がわからずそのスケジュールに拘束されて強行軍となり　気ままなドライブができないので　だんだんと横着になって　予約なしで　旅をするようになりました。しかしゼザンヌが愛したセントヴィクトワールの山の中で　あてにしていたホテルが満員で暗闇の中ホテル探しをして３時間　夜11時頃　イタリアレストランの２階に　ベッドを入れて頂いて泊めて貰ったこと（　ハイデルベルグ　でも　そういう経験があります。）
  ・家族でセントアンドリュースでゴルフをして　ロンドンまで　ドライブした途中
世界遺産ストーンヘンジに立ち寄るつもりが道を間違えて　幻のストーンヘッジとなったり　その代わり　思わぬところで　古城ホテルに　偶然泊まることになり　王様になった気分になったり　
  ・当時小学生だった娘が　『アルプスの少女ハイジの里　』に　行きたいと云えば　ドッセルドルフから　スイスMaienfeld まで長距離を車で飛ばしたり　良いこともあります。

いろんな冒険も失敗も致しましたが　それなりに却って印書深く　楽しさも尚更です。　
旅は人生にロマンを与えてくれます。　人生にとっていちばん大事なことは　年齢に関係なく　絶えず　ロマンを　求めて　そして　それを　実現すべく　努力して行く事だと　いつも思っています。
]]></description>
         <link>http://www.e-kumon.net/2007/08/post_26.html</link>
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         <pubDate>Sat, 25 Aug 2007 23:55:11 +0900</pubDate>
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         <title>ゲーテ街道 ＋ ベルリン　鉄道の旅（１）</title>
         <description><![CDATA[<CENTER><img src="http://www.e-kumon.net/gete1-1.jpg">
<em>フランクフルト駅2004年 7 月27</em></CENTER>

公文式ドイツ語を学習中の方から『　ドイツへ旅をしたいのですが　どこが　よろしいでしょうか？』と聞かれることがあります。

ドイツ語を学習されていれば　ドイツに　行ってみたいそれも　ツーアではなくて　今まで学んだドイツ語の教材に出てくるような所を　自分一人で　又は　親しい友達と　又は　家族で　ドイツへ　旅行して　ドイツ人たちと　話してみたい。　と思われるのは　当然であるし　又　それが　目的で学習されている方も多いものです。

　私はドイツ駐在時代に　日本からの出張者（　工場の技術者が　我々の営業活動の　援助　又は　クレーム処理に　よく　来てくれました　）を　よく　ノイシュバンシュタイン城　とか　ハイデルベルグ　　ローテンブルグ　等のドイツの観光地に案内したことがたびたび　ありました。　そういう観光地には　シーズンには　日本からの団体旅行の　日本人で　あふれていて　ドイツに日本人を見に来たようなものだ　というのが　彼らの感想でした　。

　私が勤めていた会社では　その国の言葉が出来ようと出来まいと　海外出張は　一人で行くのが鉄則になっている会社でしたので　　北米・メキシコ・アルゼンチン・ブラジル・中国・韓国・台湾・マレーシア・シンガポール　・　ポルトガルを除く欧州各国　へ　会社の命令で　一人で出かけました。　従って　旅というのは　一人で行くものだと思っているので　未だに日本発の団体旅行に　参加したことがありません。

唯一つの例外は　丁度　私がドイツに駐在していた1985年8月に開催された　公文　公　先生を団長とする　『グリム兄弟生誕　２００年ツーア』　に　ドイツから参加させて頂いた　ことです。　公文の教室をやっている家内が毎年夏休みに私のいるドッセルドルフに来ていたときだったので　ドイツのグリム兄弟の足跡をたどるバスツーアだけに　参加させて頂きました。バス３台を　貸し切っての　ツーアでしたが　公文　公　先生と　奥様　と嬢さんの真帆子さん　と　ご一緒バスに　乗せて頂きました　。　先生は　ドイツ語フランス語の　教育の抱負を　語っておられ　ドイツについて　いろいろとご質問がありました。
　グリムが生まれた　Hanau　を　起点として　Steinau→  Schwalmstadt →　Mahrburg →　Frankfurt と　メルヘン街道の一部と　そして　Düsseldorf　へと　足を伸ばした　楽しい　ツーアでした。

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-2.jpg">
<em>Hanau の　Rathaus　前にあるグリム兄弟像　の　前で公文　公先生と1985年8月8日
左後ろに見える　黒いのはグリム兄弟像です。</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-3.jpg">
<em>Rathaus と　グリム兄弟 2001年 7 月28日　土曜日の早朝市場の準備で忙しい　Marktplatz
この近くにあるHotel Zum Riesenには　ドイツ語で話しかけても　日本語で返ってくるご主人がいます。以前　九大で　化学を教えていたそうで　朝には食堂に　ドイツ語の新聞以外に　朝日新聞 日本経済新聞　の２紙がおいてある　日本びいきの　ホテルでした。</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-b.jpg"  width="660">
<em>ゲーテが生まれた家   ゲーテ博物館（フランクフルト）</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-a.jpg"  width="660">
<em>フランクフルト空港内にある Goethe Bar. イタリア紀行の時の有名な絵 「カンパニアのゲーテ」の複製　本物はステーデル美術館にある</em>


一生懸命ドイツ語を勉強され　　ドイツの世界遺産を堪能し　ドイツの文化に接しドイツ人と話し自分のドイツ語を　ためして見たい　という方々に推薦できるところは 下記の点で　ゲーテ街道～ベルリン　が　最適と思われます。

　
１．	日本人とほとんど　出会わない
このルートは　日本人には人気がなく　ツーアの会社が　取り上げないからです

２．	ドイツの新幹線ICE　が　通っており　日本より予約して行けば　ドイツが全く初めての方でも　旅行が楽しめる。グリーン車の４人用のガラス張りの　個室（コンパートメント）　も　予約することができ　特に快適です。（　2004年の息子夫婦と　４人での旅行は　大変楽しいものでした。）

３．	ベルリンを除くと　どの都市も　小さく　そこに　ドイツの　文学・音楽等の　
文化の　粋が　凝縮されている。　下記は　人口　です。

ハーナウ　90千人  フルダ　62千人　　アイゼナッハ　45千人　ワイマール　６0千人
マイセン　３６千人　　エアフルト　２０８千人　　ドレスデン470　　ベルリン3500　

ちなみに　博多市　1400千人　さいたま市 1188千人　堺市 832千人　　川口市　479千人

４．	グリム兄弟が　生まれた　ハナウ　は　ゲーテ街道でもあり　フランクフルトから　20km　で　　　Ｒathaus の前に　有名なグリム兄弟の　像があります。　生家は残っていないので　泊まる程ではありませんが　グリム兄弟が育った街を　味わうことができます。毎週土曜日早朝には　この像の前のMarktplatzで市がたち　日本人にとっては　非常に興味深いものです。


５．	ゲーテが生まれたフランクフルトには　ゲーテが生まれた家（ゲーテ博物館）からゲーテが
遊んだ　レーマー　や　ハウプトヴァッハ　などがあります。　

６．	ゲーテ街道は　ワイマールまで　ゲーテの足跡が楽しめ　又　　ドレスデンには　公文ドイツ語教材G教材の「ふたりのロッテの作者　」ケストナー博物館・・（Dresdenneustadt 駅からすぐのところにある）も　ケストナーファンにとっては　欠かせないところです。
又　ルターが　生活した跡　聖書をドイツ語訳した場所（ワルトブルグ城―アイゼナッハ）　　森鴎外が生活したところ（ベルリン）　滝廉太郎　の　留学先などなど　　　を　偲べます。
　
７．フルダ　には　ゲーテの定宿　Hotelgoldenerkapfen があり　入り口に日本語で昔
　　よくゲーテが泊まった　と日本語で書いてあり　特別に頼むと　ゲーテがよく食べた　「ゲーテメニュー」が　食べられます。
　　ここから　４０キロ　西北に　Rotkäppchenの　　Alsfeldがあり　２０キロ南には　グリム兄弟の家（博物館）があります。ハナウの後　ここに５年間住んだところです。

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-4.jpg">

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-5.jpg">

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-6.jpg">
<em>ゲーテの定宿　Hotel Goldener Karpfen ゲーテ定食が　食べられます</em>

８．　アイゼナッハ　ここは　教材には関係はありませんが
　　バッハが育った家（バッハ博物館）には　当時の楽器がおいてありそれで　実際に演奏してくれ　感動します。ルターが育った家（ルター博物館）ワーグナーのタンホイザーの舞台となったワルトブルグ城　（　その中に　ルターが聖書をドイツ語訳した部屋などもあります。）
　　は世界遺産　に　指定されています。

９．ワイマール　ゲーテが死ぬまで４０年間住んだ　ゲーテハウス　及び
　　ゲーテ山荘　があり　又　ゲーテの墓もあります。　フランクフルトの家は先祖代々
　　の家ですが　こちらは自分で設計して自分の趣味で飾った家で　幾つもの部屋があり
　　　ゲーテの当時の権勢を物語るものがあります。
　　ワイマール駅の反対側のバスの終点に　ナチスの強制収用所の後が　博物館となっ
て残っており眼を覆いたくなるような　人間を焼却した炉　などが　保管されています。　リストの家（博物館）もあります。

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-7.jpg">

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-8.jpg">

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-9.jpg">
<em>ワイマール郊外のゲーテ山荘（Goethes Gartenhaus）ゲーテが公務に疲れると　好んで休んだ別荘　素晴らしい</em>


１０．ライプチッヒ　
　　ゲーテのファウストに登場する酒場Auerbach Keller の入り口に「ファウストとメフィストフェレス」の像があります。バッハが活躍したトーマス教会　と　バッハ博物館　、メンデルスゾーンの家（博物館）があります。

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-10.jpg">
<em>酒場Auerbachs Kellerの入り口の「ファウストとメフィストフェレスの像</em>


１１．ドレスデン
　　D91～の　Deutschland　　 eine Einführung　に　出てくる　Frauenkirche
    は　必見　の　ところ　唯　テキストにある　修復は　昨年８月に完了して今は
　　きれいな　Frauenkirche になっており　中に入れますが　我々が訪問したときは
　　地下室にしか入れませんでした。

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<em>2004年 8 月2日修復中の　Frauenkirche</em>

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<em>Ｇ教材の「ふたりのロッテ」の作者　ケストナー博物館 Dresdenneustadt から歩いて１０～１５分</em>


１２．音楽がお好きな方には
バッハ　ワーグナー　メンデルスゾーン　リスト　活躍した　又　生活した　ところが偲ばれる　（バッハ博物館では当時の楽器でのライヴが聴ける）更に　ライプチッヒの（ゲバントハウス）　ドレスデンの（センパオパー）　ベルリンの（ベルリンフイル）を　現地で　鑑賞することもできます。

ゲーテが活躍したアイゼナッハ→ワイマール→　ライプッチッヒは　奇しくも　バッハと　共通していて　バッハ街道と　云ってもよい位です。

１３．世界遺産も
アイゼナッハの　ヴァルトブルグ城　ワイマール古典主義の都　　ドレスデンのエルベ河畔　ベルリンの博物館島　ポツダムの　サンスーシ宮殿　更に　ポツダムには　第２次世界大戦を終結させた　ポツダム会談が行われたお城もあり　これは　私の心の世界遺産でもあります。

１４．陶磁器に興味がある方は　マイセンまで　足を伸ばせば　１日中　マイセンの陶磁器が　そして　日本の柿右衛門が　堪能できます。ドレスデンから　Ｓバーンで　４０分のところにあります。　

１５．公文のドイツ語を学習される方には　Ｄ教材に登場する　ベルリンの　ブランデンブルグ門Brandenburger Tor ドレスデンの　Frauenkirche など　自分の目で足で　実物に　触れる　ことも出来ます。

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-12.jpg">
<em>1986 年3月撮影ベルリンの壁は　1989年に　崩壊しました。それ以前の写真ですので当然のこととして　壁があります。そして　上にある　Quadriga(4頭立ての２輪馬車)の馬は　よく見えませんが　お尻を向けています。</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/gete1-13.jpg">
<em>2004年8月4日撮影もはや壁もない東側からの写真です。４頭の馬は　前　を　向いています。このQuadrigaはナポレオンが　パリに持って行き　ロシアに行き　又　ベルリンに帰って来ています。</em>

Im November 1989 fällt die Mauer. Menschen aus beiden deutschen Staaten unarmen .sich.  Sie sehen glucklich aus. Alle freuen sich über Freiheit.
Das bekannteste Bauwerk ist das Brandenburger Tor  公文教材　D教材　より

<em>1989年11月に壁が倒れます。２つの国家からの人々が抱き合います。彼らは幸せそうに見えます。みんなが自由を喜びます。・・・・
いちばんよく知られた　建築物は　ブランデンブルグ門です。</em>

　ご参考までに　2004年夏のスケジュールを　ご覧ください。移動時間が　短く　楽に旅行ができることが　おわかりと　思います。
<img src="http://www.e-kumon.net/gete-hyo.jpg">]]></description>
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         <pubDate>Sun, 10 Jun 2007 01:00:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Epiphanie エピファニー 公現祭</title>
         <description><![CDATA[<strong>Dreikönigsfest ドライケーニヒスフェスト東方３聖人の祝日</strong>

東方の王たちよるキリストの礼拝を祝うカトリックのお祭りEpiphanie エピファニー  
日本人には　エピファニー　と言われても全く何のことかぴんと来ないのですが
特にフランス人にとっては大事なお祝いの日です。フランスでは　１月６日　そのお祝いに　家族や友人が集まってgalette des rois ガレット・デ・ロワ（王様のガレット）と呼ばれる丸い花のような形のケーキを切り分けて食べます。　そのとき自分のガレットの中にfève　という　陶製の小さな人形　　が入っていたら　大当たり。　金紙の王冠をかぶせてもらいその日の王様（女王様）になれるというお祭りですが　もともとは　東方の３聖人が星に導かれて幼児キリストを礼拝しに来た日として祝われるようになったものです。（　ラテン語と英語では　Epiphany　 フランス語では　Epiphanieドイツ語では　Dreikönigsfest　）
　ケーキの中に入れるfèveは　本来の意味「そら豆」の通り　食べ物でしたが　フェーヴの種類も豊富で、最近ではアニメのキャラクターやカエル、サッカーボールなどさまざまで　それがそれぞれとても可愛いので収集している人も大勢いるそうです。

　         ---------------------   ------------------    ------------------
　　　   

ドッセルドルフ駐在の1982年～ 1986年　４年間私の秘書として　お世話になった　Dahlhaüser夫人の家に　2005年3月に家内とドッセルドルフに行ったときに招待されてお邪魔したときのことです。　前回の訪問は　その１０年前　ゴルフの発祥の地　セントアンドリュースでの　ゴルフの帰りに　ドッセルドルフ時代はゴルフをしていなかった　我々夫婦を　会社の現役の社員連中が　ドッセルドルフ廣済堂に招待してくれていた　間同行していた長男の嫁を　ダールホイザーさんのご主人が　ケルンの大聖堂に連れて行ってくれ　当時現役のバレーボールの選手だった彼女は　509段の階段を一気に登って行ったが　自分は半分も登れず　途中で座り込んでいたと　いう昔話をしているときに　　出された　ケーキの中の　４個のうちの一つが　（たまたま　家内のものでしたが）　食べていて　ガリット音がするので　出して見たら　コインだったので　びっくりしたことがありました。
それを見た　Dahlhaüserさんは　ものすごく立腹してケーキ屋さんに　電話したら　すぐケーキ屋さんが　すぐ飛んで来て謝りに来たことがありました。　そのときは　何で食べ物にコインなどの異物が入っているのだろうと不思議に思い　ケーキ屋さんの　単なる作業ミスだったのだろうと思っておりました。
　 
<img src="http://www.e-kumon.net/epiphanie1.JPG">

　つい最近　ミュンヘンでのドイツの結婚式の話を聞いたのですが　日本では　ケーキをカットするのは　単なるセレモニーですが　ドイツでは　このケーキは　切って　招待客に　配って食べて頂く　その中に　コインを入れておき（　コインを入れるのはケーキ屋さんが入れる）コイン入りのケーキに当たった人は　その後　幸運が訪れる　とのこと　（　ベルリン出身のドイツ人に聞くと　このような風習はベルリンにはない
とのこと　ドイツの中央から南だけの風習のようです。）　　ケーキに何か異物を入れて　それが当たったら　ラッキーである　という発想は　エピファニーに非常に似ているものだと　思いました。　唯　我々日本人には　食べ物の中に　陶器の人形　とか　異物を入れることに抵抗感があり　又　私は　そんな異物が入ったケーキを　食べることに　違和感があり　食べられませんが・・・。　　フランス人と結婚され日本で　ご家庭を持っておられる　Ｔさんに日本でのエピファニーは　如何でしたかと　お尋ねすると　下記のような　お話でした。

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　　最近エピファニーはといいますと、今年は地元でガレット．デ・ロワを作る ケーキ屋さんが一軒もなく、数日ずらしてお祝いしました。
  我が家のおなじみ、ル．コント(青山)のガレットにしたのですが、今年は驚きました！
  箱に用紙がついており、「保健所の指導により、フェ―ヴを中に入れられなくなりました」とあるのです！代わりにアーモンドが入っており、フェ―ヴは箱の外に転がっていました。厳しい世の中です。（　日本人の感覚だと　保健所の処置は当然と思いますが・・・。　）
  ル・コントもいいのですが、個人的にはフランスで売っている庶民的な、素朴な味が私は好きです。日本で売っているものはどうしても上品すぎて、かえってパサパサしすぎのような気がします。
（　又　フランス大使館では　１ｍ　もの大きな　ガレット・デ・ロワを　作ってお祝いをしたそうです。）

<img src="http://www.e-kumon.net/epiphanie2.JPG" width="660">
<em>欧州では　では　結婚式を　２度あげる。一度目は　市役所で　二度目は教会で。　映画サウンドオブミュージックでの「ドレミの歌」の舞台となったミラベル宮殿と庭園の中の建物は市長公邸でもあるので　昨年８月ザルツブルグ訪問時　結婚式を挙げた人達が　何組かいました。</em>
]]></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 27 Jan 2007 21:03:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Oktoberfest !</title>
         <description><![CDATA[Die Hauptstade von Bayren ist München. München ist die gröste Stadt in Süddeutschland.  In München findet das welt  Oktoberfest statt.  公文ドイツ語D教材97より
<em>バイエルンの州都はミュンヘンです。ミュンヘンは南ドイツの最大の都市です。ミュンヘンでは世界的に知られたオクトーバフェストが行われます。</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/okto1.JPG" width="660">

『オクトーバーフェスト2006』とは、ドイツのミュンヘンで開催される国民的なお祭り「オクトーバーフェスト」を本場さながらに再現し、ビール文化を通じて、日本とドイツの交流を深める祭典です。
横浜では4回目の　オクトーバーフェストです。


今回は　ミュンヘンより　男性７人女性３人の　Blaskapelle Arget というバンドが　男性はLederhosenの半ズボン　女性はDirnalkleid のスカートの民族衣装を着て　この横浜オクトーバーフェストに参加されました。
もともと　オクトーバーフェストは　バイエルンの首都　ミュンヘンで　毎年　10月初旬に16日間にわたって繰り広げられる世界的に有名なビール祭り。祭りの由来は、1810年10月、バイエルン皇太子ルートヴィッヒとザクセン・ヒルトブルクハウゼンの王女テレーゼの成婚を祝って、現在のミュンヘン中央駅西側にある緑地で開催された競馬場だったといわれています。後に、この場所は「テレージエンヴィーゼ(テレーゼの草原)」と名付けられ、それから戦時中をのぞき毎年開催される「オクトーバーフェスト馬に乗ったミュンヘナー・キンドル（ミュンヘンのシンボルで黒いマントをきた娘）を先頭に、市長やビール醸造所の華やかな馬車が続き、オーストリア、フランス、スイスなど近隣国の民族衣装をまとった人々がブラスバンドを伴ってにぎやかに練り歩きます。
　


<img src="http://www.e-kumon.net/okto2.jpg">

   本場ミュンヘンでは　４２ヘクタールの広大な広場に最大1万人を収容する大テントが　14個建てられますが そのうちの一つのテントを　持って来た　 横浜オクトーバーフエストでした。名物のMaß　又は　Bierkrugと呼ばれる　１リットル入りのジョッキもなく　この写真のような　500ml のジョッキで　しかも　一人の　ケルナリンもいなく　本場のオクトーバフェストとは　程遠いものでしたが　座るところも無く　大盛況でした。本場では　プロレスラーのようながっちりしたケルナリン（Kellnerinウエートレス）が　両腕と巨大なオッパイで　１リットル入りのジョッキMaßを　10個　運んで歩く姿　これが　まさに　オクトーバフェスト　です。　是非皆さんも　来年は本番オクトーバーフェストを　見に行って欲しいものです。　（　今から予約しても　ミュンヘンには　ホテルはありません。泊まるところは　他のところに予約すべきです。）


Auch zwischen dem Süden unndem Norden gigt es
Gengensätz. In Bayern  spricht man bayerische
Z,B.begrßt man mit << Gruß Gott>>   公文ドイツ語Ｄ教材96より
<em>南部と北部の間にも対照的なことがあります。バイエルンでは　バイエルン方言を話します。たとえば 人は<< Gruß Gott>>と挨拶をかわします。</em>
<img src="http://www.e-kumon.net/okto3.jpg">

　　****      *****      ****       ****
乾杯というと　ドイツでは　 Zum Wohl !　　Prosit!
フランスでは　A votre sante !  と　お互いの健康のために！という意味で乾杯しますが
バイエルンでは　Oans Zwoa Drei Qsuffa !　　イチ　ニイ　の　サン　さあ　飲むぞ！
と云って　飲みます。　Oans Zwoa Drei　は　eins  zwei  drei の　バイエルン方言というのは　すぐわかりますが　Qsuffa　は　クズファーと　発音し saufen 　（動物が水を）飲む　（人が酒を）がぶがぶ飲む　から来ているそうです。
もっとも　バイエルンでは　Ich liebe dich を　I  mod di というそうで　ハンブルグなど北ドイツから来た　ドイツ人には　何を言っているのかわかない　そうで　方言で話されたら　れわれ日本人には　わかるはずはありません。（　もっとも日本でも　方言で話せれたら聞き取れませんが　それと同じです。）
ドイツは　方言が今でも根強く　折角ドイツ語を勉強して行っても　地方に行けば全く聞き取れないということは覚悟しなければなりません。（　Nürunberg  Schloss Solitude
を見学したときの話を　私のホームページのヨーロッパの思い出-に1998年1月-　　Verstehn Sie ? 　に書きました。　そのお城のガイドさんの　説明を　わかったような顔をして聞いていたら　　　ドイツ人のご婦人が　私のところに来てVerstehn Sie ? 　「わかりますか？」と言って聞きに来たので　「わかりません」と言ったら　「こんなひどい方言は　聞いたことがない。ハンブルグから来たがさっぱりわからない。」と　安心して自分の席に帰っていった話です。　　

　　****      *****     ******      *****      *****      ******
横浜オクトーバーフェスト　に　横浜市長と新潟市長が出席されました。以下は10月３日付けの　神奈川新聞　です。

<img src="http://www.e-kumon.net/okto4.jpg">

　横浜市中区の横浜赤レンガ倉庫・イベント広場で一日、二〇〇八年主要国首脳会議（サミット）の誘致ＰＲ活動が行われた。開催地に共催で名乗りを上げている横浜市の中田宏市長と新潟市の篠田昭市長がそろって出席し、誘致実現に向け、両市の連携をアピールした。


　両市長は、この日行われたイベント「横浜オクトーバーフェスト2006」でＰＲ。会場はビールやソーセージなどを味わう市民や観光客らで熱気いっぱい。両市長がステージに上がると盛んな拍手が送られた。

　篠田市長は「これからは東アジアの時代。日本海側の新潟と太平洋側の横浜の連携により、時代をリードしたい」とあいさつ。中田市長は一八五八年の「安政の五カ国条約」で横浜、新潟など五都市が開港都市に指定されたことに触れ、「横浜と新潟の連携で『開港の地』のサミットを実現したい」と呼び掛けた。

　


　]]></description>
         <link>http://www.e-kumon.net/2006/10/oktoberfest.html</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Sun, 15 Oct 2006 20:15:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私のザルツブルグ1　ザルツブルグ音楽祭</title>
         <description><![CDATA[<CENTER>Salzburger Festspiele</CENTER>

<CENTER><img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-1.JPG"></CENTER>
<em>Die Festung Hohensalzburg auf dem Mönchsberg oberhalb des Flusses Salzach 
ザルザッハ川上方メンヒスベルグ山の上にあるホーエンザルツブルグ城
ザルツブルグは文字通り Salz( 塩　)  Burg （　城砦　）岩塩の取引で栄えた町　でした。</em>

海外への旅は自分自身リフレッシュするのに最高で　日本ですと北海道・九州どこに行ってもたいたい同じ風景　同じ言葉ですが　海外は　建物からすべて異なり　勿論言葉も異なりドイツ語圏では　ドイツ語を　フランス語圏では　フランス語を　話すことにより　自分自身を　普通の生活から　完全に切り離すことができ　又　今回のように　いつも行かない音楽会などに浸ると　  全く別世界にいるようで　未だにその余韻に浸っております。


*******       *********        *********
今年は8月２日～５日ザルツブルグ　６～７日ウイーンの旅でした。
In diesem Jahr jährt sich Mozarts Geburstag zum 250.Mal,ein Ereingnis ,mit zahllosen Ausstellungen,Konzerten und Sonderveranstaltungen gewürdigt wird.
今年はモーツアルトの250回目の誕生日を数えますが　数多くの展覧会、コンサート特別企画をもって称えられる出来事です。
毎年７月下旬から８月末まで　行われるザルツグルグ音楽祭は世界的に有名であり又ミュジカルサウンド・オブ・ミュージックの舞台となったところでもあり　この期間　人口１５万人の小さくて狭い市は観光客・音楽祭関係者・音楽ファンで　あふれていました。

<img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-2.JPG">
<em>Mozarts Geburtshaus In diesem Haus wurde W.A.Mozart Am 27 Jänner　1756  geboren
（モーツアルトは　1756年１月２７日この家で生まれました。）
盛大な催しが繰り広げられ　この博物館も観光客で長蛇の列でした。　
（左の黄色の建物が生まれた家で現在は　博物館と　なっています。）</em>

ザルツブルグは　『サウンドオブミュージック』という映画を　家族そろって　5～6回　見て感動し　映画が撮られたザルツブルグに是非行ってみたいと思い　ドッセルドルフに単身赴任中に　初めて一人で行ったのが　1982年　そして　　家族を呼び寄せて　家族５人で　ドッセルドルフから　ドライヴして　スイス　経由で　ザルツブルグに来たのは　1984年の８月　でした。　その後　子供たちも独立して　全員揃っての旅行は　国内も含めてこれが最後となり　それだけに　1984年のザルツブルグは　格別思い出深く　その思い出の地　ザルツブルグは　我々夫婦にとって特別のものでした。　その２２年前　「　サウンドオブミュージックツーア　」なる　バスに乗り　映画の最初にでてくるザルツカンマーグトや結婚式をあげた教会まで　半日がかりで行って来て　その夜　モーツアルトもカラヤンもよく来たという　喫茶店 Tomaselli　で　ひと休みしていると　突然　「　素晴らしい演奏だった！」　と言いながら　両親とドイツ人の先生らしい人から　抱きかかえられるように入って来た　舞台衣装姿の　日本の１０代の女の子　が非常に印象的で　そのとき　初めて　ザルツブルグ音楽祭があることを知り　是非又　音楽祭のときに来ようと言っていながら　２２年経ってしまいました。


そして　今回は　時期的に　ザルツブルグ音楽祭の最中でもあり　日本人の１００人以上のコーラスTokyo Oratory Societyも　この音楽祭に参加されたりして（８月４日　Dom にて　）日本人の人も　いつになく多く　８月３日モールアルトの生家の隣のNordsee という魚料理のセルフサービスのレストランで隣り合った老夫婦は　娘が　オラトリオ合唱団の団員で明日出演するので　初めてザルツブルグに来たとのことでしたし　５日の祝祭劇場大ホールでのウイーンフィルの演奏会の　待合室では家内が　「　昨日合唱団で　歌われたのですか　」と　間違えられたり　別世界のようでした。

<img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-3.JPG">
<em>ザルツブルグ音楽祭 Salzburger Festspiele の中会場　祝祭劇場 Festspielhaüser には大ホール　小ホール　及び　背面の山壁を削って作られたホールFelsenreitschuleの３つのホールがあり Felsenreitschule が　映画サウンドオブミュージックで　最後にエーデルヴァイスを歌ったところ　です。</em>

　今回の旅行の大きい目的の一つに　前回見落とした　映画サウンドオブミュージックの最後でトラップファミリーが「エーデルヴァイス」を歌ったFelsenreitschule　というホールを見ることでした。
８月４日のことでした。
午後２時から始まる祝祭劇場内部ガイドツーア　Festspielhaüser　Führungen　に参加すれば見れるだろうと　切符を買って　正面玄関でガイドさんが来るのを待っていると　正装した大勢の人達が立っていました。　白い紙に　大きく（　切符求む！）　SUCHT! と書いてキャンセルの入場券を求めている人達だした。　異様な雰囲気でした。 	その前夜　偶然同じホテルに泊まった　自称　音楽通の　日本人の方から家内が聞いた話に　モーツアルトの　魔笛　とか　フィガロ　の切符は　70万円の相場で　現地の　ジーメンス　アウデイ　の　2社が　顧客接待用に買い占めるからだと　いう話が　頭をよぎりました。　
余程熱心な音楽気違いがいるものだ　と思いながら　眺めておりました。
帰国して　音楽の専門家である慶応大学時代の友人に　「　魔笛は　70万円の相場という話だった　」と報告したら　一緒に食事をしようと云うことになり　「　それは魔笛ではなく　フィガロの結婚だよ　」と言って　専門の新聞のコピーを持って来てくれました。その新聞のお陰で　次の謎が　解けました。

１）	どうして大勢の人が　入場券を　求めて　立っているのか
２）	どうして　モーツアルトの　オペラが　７０万円もするのか
３）	「フィガロの結婚」「魔笛」などが　上演される　Haus für Mozart　という劇場 は　どこにあるのか


それは在ウイーン音楽ジャーナリスト山崎瞳さんが書いた記事で　次のように書いてありました。

<em><strong>生誕２５０年に最強「フィガロ」</strong>
　『　祝祭小劇場が全面改築されてファッショナブルなモーツアルト・ハウスとして生まれ変わり　こけら落としに上演された「フィガロの結婚」が大好評だ。この夏　最も切符の入手が困難と言われ　異様な闇値がつけられている原因は<strong>ネトレブコ</strong>。爆発的な人気の彼女が扮するスザンナは　自立する女性として　じつに溌剌と舞台を独り占めしている。それに演技達者な<strong>シェーファー</strong>と揃って　すこぶる艶やかでもあり文句なしに最強だ・・』</em>

小さなガラス張りのオフィスの中に　きれいなお嬢さん一人と１台のコンピューターがある　テイケットサービスのPolzer で貰ったスケジュール表には　８月４日のところに
<em>Haus für Morzart　　（　モーツアルトハウス　）
Le nozze di figaro 、（フィガロの結婚）
Wiener Philharmoniker,Winer Staatsopernchor,<strong>mit Anna Netrebko</strong>,<strong>Christine Schäfer</strong>・・・
(ウイーンフィルハーモニー　ウイーン合唱団　出演　ネトレブコ　クリスチーヌ・シェーファー・・・)</em>
と書いてあり

　Haus für Morzart　とは　どこのコンサートホールだろうと思っていたら　この新聞の記事により祝祭劇場の中の小ホールが　改装されて　Haus für Morzart　という名前に変わったことが分かりました。
つまり　我々は　その　Haus für Morzart　の入り口に立っていたのでした。
そして　更に　スケジュール表　と照合すると　こけら落としが　7月26日　8月4日は　丁度　４回目の「フイガロの結婚の上演日」で　それで　大勢の人が　正面玄関で　キャンセル待ちの切符を求めて　立っている理由がわかりました。　

　ところで祝祭劇場内部ガイドツーア　（Festspielhaüser　Führungen）　なるものはには　失望しました。　劇場専門の方々のためのガイドツーアで　我々のような素人が入るところではなかったのです。
唯　Felsenreitschuleを見せて貰えば良かったのですが　ザルツブルグ音楽祭の歴史の話は　ともかくとして　劇場の構造　舞台の大きさ　移動のスピード　重さ　材料の材質　などなどへの質問する人が多かったので　専門的な話が長々とあり　翌日５日に大ホールのウインフイルを見に行くことになっているのに　大ホールだけしか見れなく　とうとう目的の　Felsenreitschule　は舞台改装中ということで見学できませんでした。
　がっかりして　その足で　テイケットサービスのPolzer社に行って　 Wir möchten　eine Aufführung in　der Felsenreitschule sehen. 　「フェルゼンライトシューレの上演を見たいのですが」　というと
Es gibt keine Aufführungen bis 15 Augusut.「15日までは上演がありません」と言いながら　音楽祭のスケジュール表を見せてくれました。そして　Es finden heute anderen Auffurngen statt.これは　今日の他の出し物です　と言って　ずらりと20ぐらい　書いてある　リストを見せてくれました。中には
　Tokyo Oratory Societyの合唱もありましたが　ザルツブルグで　日本人のものを聞くのもどうかとも思い　他にたくさん	書いてあるけれど　音楽に素人の私には　何が良いのかさっぱりわからないので　
Was konnten Sie mir emphelen ? 何がお勧めですか？　と聞いたところ　"Ich kann Ihnen Salzburger Festungskonzerte emphehlen"	と推薦されたのが　ホーエンザルツブルグ城　の　Fürstenzimmer　王侯の間　での　Salzburger MozartEnsemble, “Eine kleine Nachtmusik”Candle light Dinner im Festungsrestaurant Festung Hohensalzburg　食事付きのコンサート　でした。
　	すでに４時近くでした。開演　20時30分   食事　18時30分　と書いてあるので　雨でずぶ濡れになっているのに気がつき　ホテルに帰り　着替えて　又　出かけました。	

	とにかく　　今回は行く前に多忙で何の準備も出来ず　ぶらりとザルツブルグに来て行き当たりばったりの旅行でした。　団体旅行で決まったコースを大勢の人達と行くより　現地でバタバタしながら夫婦だけでのマイペースの個人旅行も　又　面白く　楽しいものです。　そのような　今回の旅行でしたが3日～６日　の　４日間　は　下記のように毎晩音楽会に　行き　私なりにモーツアルトを　
堪能致しました。
			


<strong>＜ザルツブルグ＞</strong><strong>
８月３日</strong>　後宮からの逃走　（　マリオネット劇場　操り人形によるオペラ　）　
<img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-4.JPG">
２２年前は　小さな操り人形劇場　だったのが　300人位収容できる　劇場となり
この音楽祭の間　毎日　モーツアルトのオペラ　「フィガロの結婚」「魔笛」「ドンジョヴァンニ」「　後宮からの逃走」などのオペラを中心に上演されていました

<strong>８月４日</strong>　アイネ　クライネ　ナハト　ムジーク　Festungskonzerte　（　山の上の砦ホーエンザルツブルグ城のFürstenzimmer王侯の間での食事つき室内楽コンサート　）　　　　
<img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-5.JPG"><img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-6.JPG">
山の上のホーエンザルツブルグ城での室内楽　城から見下ろす夜景の美しさも抜群でした。

<strong>８月５日</strong>　Erste Lodronische Nachtmusik ウイーンフィル　祝祭劇場大ホール
<img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-7.JPG"><img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-8.JPG">

<strong>＜ウイーン＞</strong>
<strong>８月６日</strong>　Straus und Mozart Konzerte   Kursalon Wienにて　　
<img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-9.JPG"><img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-10.JPG">


上記5日の　音楽会の切符は　HIS で購入しましたが　他は　現地に行って　当日　チケット販売所　にて　購入致しました。
　３日のマリオネット劇場は　前回　は　当日売りは　満席でしたが　今回は幸いにも　当日空席があり　ラッキーでした。　
　３日のマリオネットのオペラは　及び　４日の　山の上のホーエンザルツブルグ城での
室内楽では　日本人は　我々だけででした。こんなに大勢の日本人が来ているのに　皆さんはどこに行ったのだろうと不思議に思いました。翌朝　ホテルの食堂で出会った　例の音楽通の日本人のご夫婦
に聞くと　毎晩雨が激しかったからホテルで　食事をしていた、　とのこと　わざわざ　ザルツブルグまで
来ていて雨だからと云ってホテルにこもっているのは　勿体ない話です。


モールアルトが　１８歳からウイーンに引っ越すまでいたというMorzart Wohnhausは　　戦災にあったものを多くのモーツアルトフアンからの寄付により　当時のままの姿に再建され　日本語のガイドホンでも昔の楽器の音　とかが聞けたり　モーツアルトの音楽を聞きながら見れたり　他にも　モーツアルトの広場前の建物では　生い立ち生活から当時のダンスを教えたり　当時の食べ物を　提供する喫茶店があったり　モーツアルト　２５０年祭に　相応しい催しが多くありました。
<img  src="http://www.e-kumon.net/salz1-11.JPG">

2日に出発したのですが　30日に　航空券と音楽の切符を世話してくれたHIS社より電話があり　ザルツブルグは３６～7度の暑さだからその準備をして行ってください、とのことでしたので　その覚悟で準備をして行ったら　１日より天気が急変して雨は降るわ　寒いやらで現地で傘を買う始末　その雨もes hat geschüttet　	でしたので（バケツをひっくり返すような豪雨　）でしたので傘から雫が漏れて来たり　下着まで濡れるやら　写真はなかなか取れないわで　散々でした。　ときどき雨がやむので　そのときを見計って　写真を取る　買い物をする　というありさまでした。

　今まで何回となく旅行をしているのですがいつも晴れに恵まれ　今ままで　傘などは持って行ったことがなく　靴も１足だけしかなかったので　なかなか乾かず　現地の人に聞くとザルツブルグは３割は雨で　気候は非常に変わりやすく　夏になっても冬物は片付けられないとのことで　良い経験になりました。


　　続く　　次回は　私のザルツブルグ２　（サウンドオブミュウジックとザルツブルグ）
]]></description>
         <link>http://www.e-kumon.net/2006/08/1.html</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Sun, 27 Aug 2006 01:22:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私のドレスデン４　ケストナー博物館</title>
         <description><![CDATA[<center>Erich Kästner Museum</center>

公文式ドイツ語で下記の例文を学習します。
Erich Kästner　schrieb viele Bücher ,die auch ins Japanische übersetzt wurden.
(F教材82)エーリッヒ・ケストナーは日本語にも訳されている多くの本を書きました。
　
日本には　ケストナーファンが多く　特に　女性に大変人気がある作家です。
「二人のロッテ」を原文で読みたいからという理由で公文式ドイツ語を学習される方もおられます。　というのは　Ｇ教材151～で学習するからです。

<img src="http://www.e-kumon.net/drs4-1.JPG">
<font size="2"><em>Dresden Nuestadt 駅</em></font>

ドレスデンのエルベ川の対岸はノイ　シュタットNuestadt文字通り　『　新市街　』と呼ばれる地区です。
Dresden Nuestadt 駅で降りて　地図を見ながらAntonstrasse を通って　 Antonplatzの方に　500～600m歩いて行くと　丸い塀のある建物が　Erich Kästner Museum ケストナー博物館でした。スタッフは全員女性で　女性だけで運営されているように見えました。

入場料を払って勝手に入ってよい博物館ではなくドイツ語 又は 英語での女性スタッフの説明を聞かないと中に入れないようなシステムになっている小さい博物館でその説明は 大略下記のようでした。

・この博物館はケストナーの家ではなく　伯父さん（お母さんのお兄さん）の家で　ケストナーはこの近くで1899年に生まれた。母は馬具職人の夫と結婚したが　夫に対して愛情がない代わりに　全ての愛情をケストナーに注ぎ　貧乏だったが彼のために　身を粉にして働いた。　そしてケストナーも生涯　母のために　尽くした。
・家計を助けるために　下宿人をおいたが　その下宿人の教師の影響でケストナーは自分も将来先生になることを決心し１３歳のときに全寮制の教員養成所に入る。　母が病気のとき校則を破って見舞いに行って罰せられ　学校のあり方に疑問を持ち　尚且つ教育実習をやってみて　先生は自分に向かないと思うようになる。
・１８歳のときに徴兵され　そのときに　父親が実の父親ではないことを聞かされる。
・２０歳のときに　ドレスデン市の奨学金でライプチッヒ大学に入学　ドイツ文学・演劇哲学・新聞・歴史を専攻する。
・新聞社に勤めながら発表した詩が認められ　子供向けの本を書くようにすすめられて書いたのが『エミールと探偵たち』　で　その後　『点子ちゃんとアントン』と児童文学者として活躍する。
・1933年　ヒットラーが首相となり ナチスはケストナーなどの反ナチ作家の執筆を禁ずる。亡命をすすめられるが　愛する母を残してドイツをでることができずドイツに留まる。ナチの目から逃れるためミュンヘンに移り　終戦を迎え　そこでアメリカ系の新聞の編集長となり活躍をする。

といったものでした。

家の中に入ると海外で翻訳された　ケストナーの本が多数展示してあり その中でも　日本語で書いてある　岩波書店の　『ケストナー少年文学全集』全９冊が　ひときわ目立ち　さながら　ドイツにある日本の本屋といった感じでした。

<img src="http://www.e-kumon.net/drs4-2.JPG">
<font size="1"><em>入り口の案内板　には
 | Offnungszeiten   開館時間
 | Sonntag,Montag,Dienstag　日・月・火曜は
 | 10:00 ～ 18:00　　　10時から　18時まで
 | Mittwoch 10:00～20:00　水曜　10時から20時
 | Donnestag,Freitag,Sammstag
 | Gesxholossen　木・金・土曜は　閉館
 | Gruppen nur nach Veranmeldung　予約済の団体のみ
と書いてあり　何も知らないで　火曜日（2004年8月3日）に訪問してラッキーでした。
</em></font>

<img src="http://www.e-kumon.net/drs4-3.JPG">
<font size="2"><em>Erich Kästner Museum</em></font>

展示室で販売されていた　ケストナーの原書の中に　
Als ich ein kleiner Junge　war 
という本があったので買い求め　帰国後　岩波書店　高橋健二訳
『　わたしが子どもだったころ　』　
と併せ読んでみると　なかなか面白く 馬商人として成功した伯父さんが買った　『新しい別荘』　即ち現在博物館になっている　この家について Onkel Franz wird Millonaer ( 第１２章　フランツおじさん　富豪になる）のところで 下記のように描写しています。

-------------------------------------------------------------
Er kaufte das Haus Antonstrasse 1.  < Haus > ist nicht ganz das richtige Wort. Es handelte sich um eine zweistöckige 、geräumlige Villa mit einem schattigen Garten,der fast ein Park war und mit der Schmalseite an den Albertplatz grenzte.
An den Albertplatz,der zu meinem Schulweg gehörte.　An diesen geshäftigen und trotzdem feierlichenPlatz mit dem Theater und seinen zwei grossen Springbrunnen.
-------------------------------------------------------------
彼（伯父）はアントン通り１番地の家を買った。「家」いうのは正しいことばとはいえなかった。３階建ての広い別荘で、公園といっていいくらいの　木影の庭がついていた。狭い側はアルベルト広場に隣接していた。わたしの通学路のひとつであるアルベルト広場に。この広場は賑やかではあるが　荘重で　劇場があり　二つの大きな噴水があった。
-------------------------------------------------------------
と描写しています。　尚　この本は　両親の子どもの時代から　ケストナーが１５歳になるまでのことを書いてあり当時のドイツのこと　お母さんの苦労　が　よくわかり興味深いものがあります。

<img src="http://www.e-kumon.net/drs4-4.JPG">
<font size="2"><em>アルベルト広場博物館に隣接している狭い側の塀の上にいるアンゴラ猫
mit der Schmalseite an den Albertplatz grenzte.
</em></font>

<img src="http://www.e-kumon.net/drs4-5.JPG">
<font size="2"><em>Zu der großen Villa und dem kleinen Park gehörten,ein Treibhaus ,zwei Pavillons und ein Seitengebäude mit einem Pferdestall.einer
Wagenremise und  einer Kutscherwohnung.
 大きな別荘と小さな公園とには　温室が一つ あずま屋が二つ　馬小屋と車庫と御者住居とのある付属の建物が一つあった。と　書かれていますが　この写真のように今は 博物館　だけとわずかの庭だけが残され　残りは売却されて　残っていません。
</em></font>

<img src="http://www.e-kumon.net/drs4-6.JPG">
<font size="2"><em>Unsere Mütter hatten schon nebeneinander auf den grünen Bänken　Im Garten des JapanischenPalais ander Elbe gesessen.
ケストナーが子供の頃遊んだ　近くにある　日本宮殿　JapanischeｓPalais
私たちふたりの母親は　私たちが乳母車にねていたころ　エルベ川のほとりの日本宮殿の庭のベンチに並んで　腰かけたことがあった。( Als ich ein kleinerJunge war.66ページより）
</em></font>

<img src="http://www.e-kumon.net/drs4-7.JPG">
<font size="2"><em>日本宮殿　JapanischｓPalaisの庭は　エルベ川と隣接しており裏庭から　望む　対岸のドレスデン中心部
この日本宮殿は屋根の形が日本的というだけで中には全く日本的なものは何もなく失望する。
</em></font>]]></description>
         <link>http://www.e-kumon.net/2006/05/post_23.html</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Sun, 28 May 2006 18:49:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私のドレスデン３　マイセン紀行</title>
         <description><![CDATA[<center><img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-3.jpg">  <img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-4.jpg"></center>
<em>山上にそびえる大聖堂とアルブレヒト城,</em>  <em>1000年の歴史を持つ落ち着いた街</em>


普通は　見知らぬ人とは知らぬ顔を　しているのに　高い山の中では　見知らぬ人にでも百年の知己のように　親しく挨拶を交わします。　日本では全く近所付き合いがないのに　海外に行くと　日本人会などがあって　見知らぬ人同志が　お互いに助け合い　人間らしい生活ができました。　ドッセルドルフでの4年間は実に楽しく充実したものでした。

特に私は単身赴任でしたので　ひとりで寂しいだろうと　ドイツの方々の招待も含めると　ほとんど毎週のように　週末どこかの　家庭に招待されました。そこで奥様方のお話を聞くと　　ドイツ料理ドイツケーキを　勉強する方　ドイツ語に挑戦される方　欧州旅行を楽しむ方　　近郊の名所に行くツーア　ﾜｲﾝ試飲会へのツーア　などに参加される方　それぞれの方がドイツの生活を享受しておられました。
　　又　　焼き物のコレクションに　熱中する奥様　もおられ　マイセンに一度行ってみたい　が　行けないというのが　悩みでした。というのは　その当時　未だベルリンの壁が崩壊する以前でしたので　東ドイツへの旅行は許可されていなかったからです。

　
　　　　　　　　xxxxx　　　　　　xxxxx　　　　　　　xxxxx
　マイセンは　ドレスデン　より　Sバーンで30分のところにあります。駅を出て　エルベ川にでると　すぐ山の上の雄大な　アルブレヒト城がすぐ目に入ります。マイセンは1000年の歴史のあるしっとりとした落ち着いた街でした。

<img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-1.jpg">
<em>ドレスデン駅の17番線</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-2.jpg">
<em>マイセン行きのSバーン</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-5.jpg">

<img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-6.jpg">

<img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-7.jpg">
<em>ドームベルグ（大聖堂の山）の上から見たエルベ川</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-8.jpg">
<em>マイセンマニュファクチュア行きバス停留場マイセンの街を通って行きます。</em>


切符売り場のある事務所。見学用工房と博物館と呼ばれる展示ホールとショールーム兼売店　そしてカフェーがあります。マイセンのマークも年代によっての変化しています。

マイセン磁器は　家庭で使用する食器というイメージとは違って　芸術的な装飾品が多く　びっくりしました。




見学用工房　の前の椅子に座って待っているとドイツ人のお客さんを含め　20人程になりました。　案内のお嬢さんが　我々親子4人のために　日本人用イヤーホン　を持ってきてくれました。　今回は　日本人は　我々だけだったですが　いつもは　団体で　多くの日本人が　訪問すると見えます。
最初の部屋は　ビデオによって　マイセン磁器に関しての歴史的な説明　製造工程の説明があり　次の部屋に行くと　塑像工程で　柔らかい粘土から　像を成形して　焼成する前の工程を　マイスターが　慣れた手つきで　作ってみせてくれます。

<img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-9.jpg">
<em>マイセンマニュファクチュア博物館　
見学用工房　ショウルーム兼売店があります</em>

<img src="http://www.e-kumon.net/dresden3-10.jpg">
<em>マイセン駅構内</em>


　<u>ドレスデン建都　800年周年　記念祭</u>

ドレスデンはドイツ東部にあり　かって17世紀～18世紀にザクセン王国として栄えた町です。この町は歴史が古く　さかのぼる800年前には　町としてはじめて記載されました。その建国800年を迎えるため　4月30日のオープニングをはじめとして　たくさんのイベントが開催されます。エルベ川をはさむ新旧市外の外壁にマイセン磁器で装飾された「君主の行列」を忠実に再現した歴史パレードが　8月27日に　ドレスデン城の「緑の丸天井」ザクセン王家の財宝を展示している場所）が再公開される（9月１６日）など
盛りたくさんです。この機会にぜひ一度ドレスデンを訪問されては如何でしょうか


]]></description>
         <link>http://www.e-kumon.net/2006/03/post_22.html</link>
         <guid>http://www.e-kumon.net/2006/03/post_22.html</guid>
         <category></category>
         <pubDate>Sat, 18 Mar 2006 03:57:49 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私のドレスデン２</title>
         <description><![CDATA[2005,2006 Deutchland in Japanのドイツ年の一環として　2005年6月28日～９月19日まで　上野の国立西洋美術館にて　Spiegel der　Welt. Die Staatlichen Kunstsammlungen Dresden in Japanとしてドレスデン展　が　開催され　アウグスト強王　のコレクションを中心に伊万里焼　中国の磁器を　はじめ　フェルメール　レンブラント　他　の　美術収集品が展示されましたが　更に　2005年12月　ベートベン　ベンツ　及び　マイセンの焼き物の切手が発行されました。  

<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image001_000.jpg">
<font size="2"><em>(左）『荘厳ミサ曲を作曲するベートーベン』 1820 年に描かれた，ボンの生家に所蔵されている肖像画より切手化されました。</em>
<em>（右）世界最初のガソリン自動車　ゴットリーヴダイムラー とカールベンツによって 1886 年に発明されました。</em></font>

<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image002temp_000.jpg">
<font size="2"><em>17 ～ 18 世紀中国「景徳鎮」日本の「伊万里焼」に憧れて作られたマイセン磁器 </em></font>


又　 2006年１月22日まで　Prachtvolle Porzelleeane aus Meisen　「華麗なるマイセン磁器」展　が東京都庭園美術館で　開催されました。 

-----　　　　　-----　　　　　-----　　　　　-----　　　　　-----　　　　　------ 

ドレスデン～マイセンには　 2004年夏　訪問しました。ドレスデンの中心にあるレジレンツ城　Rezidenzschloß の　元厩舎の裏壁　にある　有名な「君主の行列」Der Fürstenzug は　25,000枚のマイセンの絵付けタイルで　出来ており　最初の 君主　マイセン辺境伯　コンラート（ 1123 ～56）から　最後のアウグスト3世（1904～ 18）まで　35人の王が描かれていますが　この5番目のアウグスト強王(1694 ～1733)であり マイセン磁器を 育てた立役者です。

<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image002temp_001_000.jpg">
<font size="2"><em>Der F ü rstenzug 　君主の行列。35 人の王が　マイセンの磁器タイルで　描かれています。</em></font>

<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image002temp_002.jpg">
<font size="2"><em>長さ 101.9 メートルの　君主の行列</em></font>


陶磁器は　フランス語では　 porcelaines 又は céramique 

ドイツ語　では　 Porzellan 又は　Keramik　と云いますが　古く　13世紀ごろから　高貴で硬く　すばらしく白い陶器は　欧州では　生産ができず　長年　中国の景徳鎮の磁器が東インド会社から　「　白い黄金　」として　高く輸入され　1652年　明朝から　清朝への政変で景徳鎮の磁器の生産が一時途絶えた時期に　日本の伊万里焼が　輸入されました。 

中国磁器コレクションブームは欧州各国にひろがり　フランス王ルイ 14世（1638～ 1715）も　ドレスデンのアウグスト強王（1670 ～1733）にと同じ時期に　負けず劣らず　「白い黄金」のコレクターでした。 

  

　欧州各国が　自国でも　この磁器を生産できるよう凌ぎを削っていた矢先　 1708年 つまり中国で磁器が発明されて約千年もたって　マイセンで　ヨーロッパ最初の白磁製造に成功します。　私は磁器に造詣が深い訳ではないのですが　どういう訳か　ご縁があり　偶然　磁器に関連したものに遭遇致しました。 

  

１、 Keramik ( ceramiques ) の出会い　 

セラミックス　というと　広義にはセメント・ガラス・煉瓦など成形・焼成などの工程を 経て得られる非金属無機材料の総称　ですが　私たちの電子部品業界では　セラミックコンデンサー　又は　絶縁物　の　ことでした。　単身赴任でしたので　ドイツで正月を迎えるのもつまらないので　ギリシャ旅行を思い立ち　アテネ　経由で　ロードス島に行く予定で行ったのは良かったのですが　正月で　アテネからの船が欠航となり　安い飛行機の切符できているので　予定を変更してローマに行こうとしたら　この切符は　変更がきかない　とのことで　１週間アテネに滞在せざるを得なくなりました。しかたがないので アテネの神殿　美術館　又　観光バスに乗って　時間をつぶしていましたが　いよいよ 行くところが無くなって　案内書を見ていたら　セラミック　（　ギリシャ語では　 Keramik ）の語源は　アテネの郊外のKeramik という町に陶器の工場街があり　そこに多くの陶工がいたので　その地名　変じて　陶器　陶磁器のことを　Keramik というようになったと書いてあるのを　発見しました。暇つぶしに　地図を見ながら１時間ほど　歩いてKeramikという町を訪ねて歩きました。　行ってみると　　人が　住む家が一軒もなく　石が雑然と　散らばっている　殺風景な　ところが　Keramikでした。 

　昔は　陶工が　活躍した　ところだったのだろうと思いを馳せながら　又　こんな辺鄙な　 Keramik　なる街を訪ねた　馬鹿げた日本人は　私以外にいないだろうと思いながら　　一人寂しく帰りました。 

 
２、パリ郊外　セーブルの Musée national de la Céramique　との出会い

初めてパリに出張したと　１９７５年　　フランスの代理店　 E社のBaconnets氏が シャルルドゴール空港に迎えに来てくれて　車で　ブローニュの森　ロンシャン競馬場 を通って　 Sant Claudの Villa Henri IV　というホテルに案内してくれ　このホテルに １０日程滞在しました。そのホテルの傍には　直径５～６ kmある大きい公園があり　その土日の　休みの日　に天気が良かったので　何の予備知識もなく　散歩していたら　公園の反対側のパリに近い方を歩いていると偶然がMusée national de la Céramiqueありました。　Céramiqueと書いてあるが何だろうと思って　中に入り　そこで　フランスの他 欧州の磁器　中国の磁器　多くの陶磁器の中に　　柿右衛門が作った　柿の絵柄の磁器を　初めて見て　感動しました。というのは　小学校の教科書に　陶工　柿右衛門が　柿の熟したあの赤い色を出そうとして窯を幾度と無く試作をくりかえして成功した　というストーリーでしたが　柿右衛門が作った磁器の実物を日本では　見たことがなかったからです。後で分かったことですが　この地域は　セーヴルといい　ルイ王朝時代からの　王立窯業工場があるところでした。 

<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image002temp_003.jpg">
<font size="2"><em>パリ郊外　セーヴルにあるMus é e national de la Céramique2002年  家内と一緒に再訪したが柿右衛門の陶器はありませんでした。 見たいのであれば事前に文書での連絡が必要とのことでした。</em></font>
----続く　私のドレスデンー３　マイセン紀行　---- ]]></description>
         <link>http://www.e-kumon.net/2006/01/post_16.html</link>
         <guid>http://www.e-kumon.net/2006/01/post_16.html</guid>
         <category></category>
         <pubDate>Sat, 21 Jan 2006 21:37:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私のドレスデン１　世界最大のパズル</title>
         <description><![CDATA[ドレスデンについては　公文ドイツ語 D教材９１で　下記のように　学習します。 

Dresden liegt im Süden von Berlin. 
Es ist die Hauptstadt von Sachsen. 
Die Stadt Dresden renoviert eine der schonsten Barockkirchen der Welt, die Frauenkirche. Aber wirtshaftlich geht es noch immer shclecht. 
<em>ドレスデンはベルリンの南にあります。 
それはザクセン州の州都です。 
ドレスデン市は　世界でいちばん美しいバロック教会のひとつフラウエン教会を修復しています。しかし経済的には今なお悪い状態です。</em> 
<img src="http://www.e-kumon.net/dresden.JPG">
<em>Frauenkirche in Dresden 
修復中のフラウエン教会 
（ 2004年8月2日撮影） </em> 

ドレスデンは　１９４５年の敗戦後　ドイツが　東西に分断され　　東ドイツとなってしまったので　私のドイツ滞在の 1981年夏より1986年末までの間は　少なくとも ドレスデンを含む東ドイツへは　旅行は勿論　仕事にも行くことが許されませんでした。 

ドレスデン　ザクセン王国の州都で　１７世紀　バロック形式の文化の華が開花したところとして知られ　バッハがオルガンを弾いた教会　ワーグナーが活躍したオペラハウス　美術館や宮殿が立ち並ぶ美しい　エルベ川の　フイレンツエ　と　呼ばれています。 

しかし今から　６０年前　　ドイツは　既に敗戦も決定的になっている 1945年2 月13日米英の空爆で　７５％が　壊滅されました。　どうして　軍事基地が無いドレスデンが 爆撃されたのかと　ドイツ人に聞くと　これは　「どうして広島に原爆が落されたのか？」 
という質問と同じで　誰にもわからないとのことでした。 

<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image004_001.jpg">
 ドレスデンの　シンボルである　 Frauenkirche（聖母教会）は　東ドイツの資金不足のため　空爆にあった　 がれき のまま放置されておりました。1989年のベルリンの壁の崩壊で機運が高まり　地元住民らが再建団体を結成　1994年５月から再建に着手されました。 

そして　内装設備を終える 本年２００５年１０月３０日 の日曜日に　　シュレーダー首相　や　米英政府の関係者他　 ６万人の人が出席して 完成式典が　盛大に開かれました 。 
<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image006.jpg">
　高さ１４メートルのがれきの山から １５万個の破片を調べて元通りに再現する気の遠くなるこの 作業は 「世界最大のパズル」 と称されております。この総工費１億３０００万ユーロ（約１８４億円）の　７割以上が爆撃をした米英を中心とした世界各国からの募金でまかなわれました。　 空爆に参加した英兵士の息子 らがつくった黄金の 十字架が「和解の象徴」 として　ドームの上に取り付けられました。 
<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image008.jpg">
　昨年８月に東ドイツにはじめて訪問しました。 7月29日から8 月5日まで　フランクフルトを起点にベルリンまで　家内と息子夫婦と４人で一等車の４人用のガラス張りのコンパートメントを通しで予約しての旅で　なかなか快適でした。 

ドレスデンには８月２日に立ち寄り　翌日はマイセンに行きました。ライプチッヒから汽車に乗りドレスデンの駅で汽車から降りると　駅の構内を初め　街中のあちこちが　工事中で　未だ戦後といった感じでした。

　特に　 Frauenkirche（聖母教会）のまわりは　大きい穴が開いておりひどいもので　修復の実情を見て来ただけに　世界の人々の協力で　立派に完成されたという知らせに　その嬉しさも　格別です。
<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image010.jpg">
<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image012.jpg">
 本年は「日本に於けるドイツ年」として　新しい形の　日独交流の催しが行われています。その一環として　上野の国立西洋美術館で　ドレスデン展　が　開かれました。 

ドレスデン　ツヴィンガー宮殿のアルテマイスター絵画館にある　アウグスト強王の財によるコレクション他から　陶磁器・絵画他　２００点余りが　展示されました。 
<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image013.jpg">
当時　日本　中国の　白磁の陶器が　欧州ではすごぶる貴重品として扱われて　今回も　伊万里焼が展示されていましたが　それらを分析するために　太陽の光を　集光鏡で集めて　１６００度の熱を発生し　日本・中国　の陶磁器に当てて　分析したという　集光鏡　なども出品されており　これが後のマイセン磁器の　開発につながる興味深いものがあります。 

（有名な　ヨハネス・ フエルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」 をはじめ　オランダのレンブラント他の絵画　イタリアの　、メテリーノ　カナレット　他　が　展示されておりました。 

アウグスト強王は　当時ドレスデン近郊フライベルグの銀山が　活発で　その財宝で以って３００人の妻を娶り　４００人の子供が出来　絵画　陶磁器のコレクションを　なし　『　強王　』と言われいます。 ]]></description>
         <link>http://www.e-kumon.net/2005/12/post_15.html</link>
         <guid>http://www.e-kumon.net/2005/12/post_15.html</guid>
         <category></category>
         <pubDate>Wed, 21 Dec 2005 21:36:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>２００６年ワールドカップを目指してドイツ語を学習しましょう！</title>
         <description><![CDATA[<CENTER>ドイツで本場の　サッカーを　味わいましょう。</CENTER>

2006 年のサッカー・ワールドカップ開催は　下記の日程で始まります 。 

  

・ 2005 年 12 月：　ライプツィヒにてＷ杯参加 32 カ国の組み合わせ抽選会 

・ 2006 年 6 月 9 日：　Ｗ杯オープニング戦 ( ミュンヘン） 

・ 2006 年 7 月 9 日：　Ｗ杯フィナーレ ( ベルリン ) 

  

昨年８月に訪問したとき　ライプッチで　たまたま　見た　 巨大サッカーボール型地球 （高さ 15m 　重さ　６０トン）は　過去のワールドカップと 2006 年大会に関する資料を集めた情報センターでした。　１２の開催都市を下記の日程にて巡回中ですので　今　ドイツへの旅行を計画されている片は    立ち寄られたらと思います。 

  

１．フランクフルト：　終了 
２．ケルン：　終了 
３．ライプツィヒ：　終了 
４．ハンブルク：　終了 
５．ゲルゼンキルヒェン：　終了 
６．ドルトムント：　終了 
７．カイザースラウテルン：終了 
  

８．ニュルンベルク　2005年 9 月 11 日 

９．ハノーバー：　 2005 年 10 月 11 日 -12 月 4 日 
１０．シュトゥットガルト：　 2006 年 1 月 3 日 -2 月 12 日． 

１１ . ミュンヘン：　 2006 年 3 月 14 日 -6 月 9 日 

１２．ベルリン：　 2006 年 7 月 8 日 -7 月 31 日 

  

  

以下は　昨年８月ドイツ訪問したときの　記事です。 
 

 
<img src="http://www.e-kumon.net/wc1.jpg">
 ２００６年ワールドカップ 決勝戦が行われる ベルリンオリンピック スタディアムす。 現在改装がずいぶん進んでいます。 改装費は約２億５千万ユーロ といわれています。 
 
<img src="http://www.e-kumon.net/wc2.jpg">
２００４年８月４日 Belrin　Olympia Stadion を　訪問しました。１９３６年ナチ政権下に行われたオリンピックメインスタヂアムで　現在　２００６年の世界選手権に皆様の来場を期待して改装中です。 

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壁面に刻まれている　女子２００ｍ平泳ぎで金メダルを獲得した前畑選手・陸上の　田畑選手他の名前を　見つけ　感激しました。  
  
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７月３１日　ライプッチッヒを　訪問しました。市役所前のマルクト広場では２００６年サッカーを目指して　巨大サッカーボールの催しが　行われていました。 
 
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サッカー場のＺｅｎｔｒａｌ　Ｓｔａｄｉｏｎは　目下改装中で　残念ながら中に入れませんでした。  ]]></description>
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         <pubDate>Fri, 14 Oct 2005 14:06:34 +0900</pubDate>
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         <title>フランス語は　国際語として失格？</title>
         <description><![CDATA[石原慎太郎・東京都知事が昨秋、首都大学東京の支援組織の設立総会で祝辞を述べた際、「フランス語は国際語として失格」と発言したことをめぐり、 
　仏語学校長らが損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたとのことで　誰もがびっくりしたことだろうと思います。　石原知事は仏語や仏文化に愛着があるとしながら、「９１」を「四つの２０と１１」とするなど仏語独特の数え方を挙げて「かつて外交官の公用語として幅をきかせたが、科学技術の討論をしたりするときに非常にやっかいなんで、だんだん外れていった」と指摘　そう言われれば　理解できる様な気もします。実際問題として フランス語での数のかぞえ方は

4 qautre
5 cinq
10 dix 11 onze 12 douze 15 quinze
20 vingt
60 soixante
70 soixante-dix
80 quatre-vingts 『　 四つの２０　』
85 quatre-vingts-cinq 『　 四つの２０と5　』
90 quatre-vingts-dix 『　 四つの２０と１０　』
91 quatre-vingts-onze 『　 四つの２０と１1　』
92 quatre-vingts-douze 『　 四つの２０と１2　』
95 quatre-vingts-quinze 『　 四つの２０と１5　』

と　大変ややこしいものがあります。慣れれば　それなりに味わいがあるですが　慣れるまで　なかなか聞き取れないしパッと出てこないものです。しかし　お金にまつわるものなので　わからない　数えられない　では　済まされません。

　私の駐在時代は未だフランス・フラン　の時代でした。出張時よくタクシーに乗ることが多く　タクシーのメーターが　７５フラン　だったので　１００フラン紙幣を出すと　タクシードライバーは　残りはチップだと思って　知らぬ顔をして　その紙幣を　懐に入れる運転手もいました。　それから　一生懸命　数の数え方を覚えて　タクシーを降りるときに　１００フランの紙幣を出しながらカトロバン・サンク　フラン（　８５フラン　）　とタイミングよく言えば　キチンと　１５フランの　お釣りをくれるのでした。

　1981年の夏ドッセルドルフ駐在になって　ひとりで　はじめてフランス　Dijonの得意先 に出張したときのことです。パリのリヨン駅にたどり着き　Dijon行きの切符売り場まで来ると　その前には　旅行者の　長蛇の列　でした。やっと自分の番がまわってきて英語で切符を買おうとしたら　窓口の女子職員が　全く英語を解さず　何やら　ドナッテいるけれど　フランス語を全く勉強していない当時の私には　何を言っているのかわからずぼんやりしていると　私の次に並んでいたフランスのビジネスマンらしき人が　見るに見かねて　英語で通訳をしてくれました。　『　ファーストクラス　か　セカンドクラス　か　』　と　聞いている　というのです。　そのときは　２等車に乗って行きましたが　ドッセルドルフの事務所に帰ったら　会社の規定で出張者は　汽車・電車は　全員　１等車　飛行機は　ビジネスクラスになっていること　座席指定を含め　フランスの汽車の切符は　ドイツの事務所でも買えること　がわかり　その後は　余計な苦労もせずに済みました。

　その直後　フランスで最初のTGVが　パリリヨン駅→　リヨン駅に　できて　１等の座席指定の切符をドッセルドルフ事務所の秘書のダールホイザー夫人が手配してくれるし　TGVの車中では　車掌さんが　こちらから何も言わなくとも　ていねいできれいな英語で応対してくれるし　座席は広く快適で　　座席で　朝食は食べられるし　コーヒーは飲めるし　一番最初の出張時の苦労がうそのようです。　Dijon はブルゴーニュ　ワインの名産地でもあり　２００３年家内と二人で　ワイナリー巡りをしたときは　日本から　パリ・リヨンーデイジョンの１等車を予約して旅をしました。　便利な世の中になったものです。
　 
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パリ　リヨン駅（Paris gare de Lyon）
2005年３月３０日　バスの中より撮影]]></description>
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         <pubDate>Wed, 21 Sep 2005 21:35:41 +0900</pubDate>
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         <title>マイスターの国　ドイツ</title>
         <description><![CDATA[ドイツに駐在しているときの　一番大きい仕事のひとつ　に　フランスの国営企業トムソンの　中央研究所に 行って　ビデオ　テレビ　を中心とする民生品の　新製品に　どれだけ自社製品の電子部品を設計の段階から採用して 貰うかという仕事でした。その研究所は　黒い森　 Schwarzwald のVilingenにあり昔のドイツSABAテレビ工場を フランス国営企業トムソンが買収したものでした。　ドッセルドルフから　シュトットガルトまで飛行機で行って 空港のレンタカー屋さんで　メルセデスベンツ５００を借りて　アウトバーン A81　号線を　Singen方面に　時速200km に挑戦しながら　黒い森を　ドライブするのも　楽しみの一つでした。 

　日本の企業の場合　各部署を幅広く体験させ何でもこなせるゼネラリストを養成し　環境の変化に応じた人事異動が 多いが　ドイツの場合歴史的にマイスターの国であり　スペシャリストを養成し　人事異動は少ないように思います。 

　例えば購買の担当者にしても　セラミック担当　コイル担当　トランス担当　と別れており　何十年も同じ仕事をやっているので わが社の部品番号を　我々より　よく知っており　諳んじて　ペラペラと　口からでてくることには　びっくりしたことが 何度もあります。特に　徒弟制度により修行してきた技術者の場合　英語の教育を全く受けていない方が多く　当然 管理者ではなく　会社の地位は低いので　最初はこの人たちは　表面にでてこず　英語を話すマネジャーしか会わないので 何も知らない我々は　このマネジャーがすべて　やってくれるものと思っていると　さっぱり仕事が先に進まないことがたびたび ありました。　よくよく調べてみるとマネジャーは職制は上であるが　何の権限もなく　実際は　このマイスターの技術者が権限を 握っていることが多いことがわかり　その後　ドイツ語をマスターするに従って　直接この人たちと接するようになりました。 

　最初は取り付きづらいが愛すべき人柄の人が多いのは日本と同じで　親しくなると思いもよらぬ協力をしてくれるものです。 

　高電圧回路に使用する電子部品を欧州で販売するには　 VDE規格の承認が必要でありますが　日本の 工場からその取得を試みると　２～３年を要することがありました。　我が愛する VDEのマイスターの方が　たまたま その委員も兼ねていたこともあって　その人に直接頼んで　２ヶ月で　承認が取れたことがありました。 

ドイツ語で仕事ができて　うれしかったことのひとつでもあります。 
 
  
<img src="http://www.e-kumon.net/hajimete24.JPG" width=620>
 <em>黒い森とボーデン湖の中間にあるドナウ河の源 Donaueschingen(ドナウエシンゲン)</em>

私が毎月訪問した Villingen のすぐ近くでしたが帰りのシュトットガルト空港とは反対方向でしたので余り立ち寄ることもありませんでしたが　疲れたときに立ち寄ると　これが雄大なドナウ河の源だと思うと不思議に元気がでてくるのでした。2001年家族でレンタカーでストラスブルグ・コルマールのアルザスに行った帰りにここに立ち寄りました。 
独仏スイスの国境に近く１７６６年モーツアルトが１０歳のときに１２日滞在したそうで国際音楽祭があり　音楽関係者が訪問するところでもあります 。  
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         <pubDate>Thu, 21 Jul 2005 21:35:05 +0900</pubDate>
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         <title>カラヤン最後のベルリンフイル（２）？</title>
         <description><![CDATA[彼はドッセﾙドルフの旅行会社に顔が広く　抜群の交渉力で　無料で交渉したというのです。　 

土曜の飛行機でベルリンに発ち　その夕方　ベルリンフイルを聞いて翌日の日曜日はベルリンの市内見物　しかも　カラヤンは長期療養後の初出演で今回が恐らく最後の指揮となるだろうから　是非見ておいた方が良い　との彼のアドバイスでした。 

  

勿論異議がある訳ではなく又土日曜は何も予定がないので即座に参加させてもらうこととしました。ところが翌日　日本から下記のようなテレックスが来ました。 

　『突然で　申し訳ないが　　シュバルトバルトのドイツ Thomson　とニュールンルグ Grundigを訪問したいからアテンドして欲しい。今度の日曜の朝 8時にドッセルドルフ空港に迎えに来て欲しい。』 

と　日頃大変お世話になっている　秋田の工場の事業部長からの要請でした。　当時アンカレッジ経由でしか　欧州に来れなかったので　日本からの出張者のほとんどは　日本を金曜又は　土曜夜　出発して　土曜か　日曜の早朝　ドッセﾙドルフ着　となり　 我々駐在員としては右も左もわからない日本からの出張者を　飛行場にピックアップして　ホテルに 届け　土日曜を返上して　面倒を見ることも　大きい任務のひとつ　でした。 

<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image002_008.jpg"> 
ベルリンフィルハーモニー　２００４年８月５日撮影 
 
Herr Rieger に事情を説明し　折角のベルリンフィル行きを楽しみにしていたが　こういう事情で参加できない。キヤンセルして欲しい旨　伝えると　非常に残念な顔をして　自分の席に帰り　何やら調べて　しばらくして又　私のところに来て　日曜は早朝６時ベルリン発　ドッセルドルフ着7時の飛行機がある。土曜日は予定通りカラヤンを聞みているほ ういて　日曜日の市内見物だけ キヤンセルしたらどうか　とのアドバイスがあり　彼の指示通りに　土曜日の飛行機で　学校の先生で賢夫人の奥さんを伴った　リーガー夫婦と N君と4人で　ベルリンに出かけました。

<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image002temp_001.jpg">
<em>カラヤンの偉業をたたえて　横の通りは　彼の名前の Herbert von Karajan Stras se となっています。 ２００４年８８月５日撮影</em>
 
ベルリンフイルハーモニーでの席は　１階の前から５番目の上席で　カラヤンがすぐ見える場所でした。最後の指揮と云われるだけあって　カラヤンは鉄製の手すりがついた鉄柵に囲まれた指揮台の中でフラフラしながら今にも倒れそうな　しかしそれでも　倒れない　たくましい精神力で 一生懸命な指揮でした。 

1908年生まれのカラヤンは　当時ほぼ80歳　かな りの老齢で見ている方はヒヤヒヤしながら手に汗を握って見る　チヤイコフスキーのピアノ協奏曲でした。カラヤンの指揮を見たのは　後にも先にも　私にとっては　このときだけで　それだけに大変印象深く　今でも昨日の出来事のように脳裏に焼きついています。　 Rieger がいなかったら　カラヤン　は　一生見ることもできなかった訳で　彼に非常に感謝しています。 

カラヤンは　これが最後だと　言われながら　その後も　演奏活動を続けられその２年後の １９８９年７月１６日　ベルリンの壁が崩壊するほんの少し前に　亡くなっておられ　私が見たのが　最後の指揮ではありませんが　 Rieger がいなかったら　ベルリンフイルにも　行く事はなかったでしょう。 

赴任直後には　当時１５人位しかいなかった事務所全員で　土曜日に泊まりかけで　保養地　 Wiesbaden に　旅行し　皆で楽しい旅行をしたこと　　Rotenburug 連れて行って貰ったこと　そして　私が帰任する1週間前にドッセルドルフ近郊の森にハイキングに行ったことなどなど　彼とは楽しい思い出ばかりです。 

一度どこかでお会いして　お礼を言いたいと思っています。 

 
 
 
<img src="http://www.e-kumon.net/clip_image001.jpg">
<em>なつかしいローテンブルグ Rohthenburug にて
左から 3 人めがリーガー　 5 人めが　私です。赴任直後 Robtenburg 　に２週間ホームスティーして Goethe Institute にて楽しく　ドイツ語を勉強した 忘れられない　思い出の地です。  </em>]]></description>
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         <pubDate>Tue, 21 Jun 2005 21:34:30 +0900</pubDate>
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