2006年05月

私のドレスデン4 ケストナー博物館

Erich Kästner Museum

公文式ドイツ語で下記の例文を学習します。
Erich Kästner schrieb viele Bücher ,die auch ins Japanische übersetzt wurden.
(F教材82)エーリッヒ・ケストナーは日本語にも訳されている多くの本を書きました。
 
日本には ケストナーファンが多く 特に 女性に大変人気がある作家です。
「二人のロッテ」を原文で読みたいからという理由で公文式ドイツ語を学習される方もおられます。 というのは G教材151~で学習するからです。


Dresden Nuestadt 駅

ドレスデンのエルベ川の対岸はノイ シュタットNuestadt文字通り 『 新市街 』と呼ばれる地区です。
Dresden Nuestadt 駅で降りて 地図を見ながらAntonstrasse を通って  Antonplatzの方に 500~600m歩いて行くと 丸い塀のある建物が Erich Kästner Museum ケストナー博物館でした。スタッフは全員女性で 女性だけで運営されているように見えました。

入場料を払って勝手に入ってよい博物館ではなくドイツ語 又は 英語での女性スタッフの説明を聞かないと中に入れないようなシステムになっている小さい博物館でその説明は 大略下記のようでした。

・この博物館はケストナーの家ではなく 伯父さん(お母さんのお兄さん)の家で ケストナーはこの近くで1899年に生まれた。母は馬具職人の夫と結婚したが 夫に対して愛情がない代わりに 全ての愛情をケストナーに注ぎ 貧乏だったが彼のために 身を粉にして働いた。 そしてケストナーも生涯 母のために 尽くした。
・家計を助けるために 下宿人をおいたが その下宿人の教師の影響でケストナーは自分も将来先生になることを決心し13歳のときに全寮制の教員養成所に入る。 母が病気のとき校則を破って見舞いに行って罰せられ 学校のあり方に疑問を持ち 尚且つ教育実習をやってみて 先生は自分に向かないと思うようになる。
・18歳のときに徴兵され そのときに 父親が実の父親ではないことを聞かされる。
・20歳のときに ドレスデン市の奨学金でライプチッヒ大学に入学 ドイツ文学・演劇哲学・新聞・歴史を専攻する。
・新聞社に勤めながら発表した詩が認められ 子供向けの本を書くようにすすめられて書いたのが『エミールと探偵たち』 で その後 『点子ちゃんとアントン』と児童文学者として活躍する。
・1933年 ヒットラーが首相となり ナチスはケストナーなどの反ナチ作家の執筆を禁ずる。亡命をすすめられるが 愛する母を残してドイツをでることができずドイツに留まる。ナチの目から逃れるためミュンヘンに移り 終戦を迎え そこでアメリカ系の新聞の編集長となり活躍をする。

といったものでした。

家の中に入ると海外で翻訳された ケストナーの本が多数展示してあり その中でも 日本語で書いてある 岩波書店の 『ケストナー少年文学全集』全9冊が ひときわ目立ち さながら ドイツにある日本の本屋といった感じでした。


入り口の案内板 には
| Offnungszeiten 開館時間
| Sonntag,Montag,Dienstag 日・月・火曜は
| 10:00 ~ 18:00   10時から 18時まで
| Mittwoch 10:00~20:00 水曜 10時から20時
| Donnestag,Freitag,Sammstag
| Gesxholossen 木・金・土曜は 閉館
| Gruppen nur nach Veranmeldung 予約済の団体のみ
と書いてあり 何も知らないで 火曜日(2004年8月3日)に訪問してラッキーでした。


Erich Kästner Museum

展示室で販売されていた ケストナーの原書の中に 
Als ich ein kleiner Junge war
という本があったので買い求め 帰国後 岩波書店 高橋健二訳
『 わたしが子どもだったころ 』 
と併せ読んでみると なかなか面白く 馬商人として成功した伯父さんが買った 『新しい別荘』 即ち現在博物館になっている この家について Onkel Franz wird Millonaer ( 第12章 フランツおじさん 富豪になる)のところで 下記のように描写しています。

-------------------------------------------------------------
Er kaufte das Haus Antonstrasse 1. < Haus > ist nicht ganz das richtige Wort. Es handelte sich um eine zweistöckige 、geräumlige Villa mit einem schattigen Garten,der fast ein Park war und mit der Schmalseite an den Albertplatz grenzte.
An den Albertplatz,der zu meinem Schulweg gehörte. An diesen geshäftigen und trotzdem feierlichenPlatz mit dem Theater und seinen zwei grossen Springbrunnen.
-------------------------------------------------------------
彼(伯父)はアントン通り1番地の家を買った。「家」いうのは正しいことばとはいえなかった。3階建ての広い別荘で、公園といっていいくらいの 木影の庭がついていた。狭い側はアルベルト広場に隣接していた。わたしの通学路のひとつであるアルベルト広場に。この広場は賑やかではあるが 荘重で 劇場があり 二つの大きな噴水があった。
-------------------------------------------------------------
と描写しています。 尚 この本は 両親の子どもの時代から ケストナーが15歳になるまでのことを書いてあり当時のドイツのこと お母さんの苦労 が よくわかり興味深いものがあります。


アルベルト広場博物館に隣接している狭い側の塀の上にいるアンゴラ猫
mit der Schmalseite an den Albertplatz grenzte.


Zu der großen Villa und dem kleinen Park gehörten,ein Treibhaus ,zwei Pavillons und ein Seitengebäude mit einem Pferdestall.einer
Wagenremise und einer Kutscherwohnung.
大きな別荘と小さな公園とには 温室が一つ あずま屋が二つ 馬小屋と車庫と御者住居とのある付属の建物が一つあった。と 書かれていますが この写真のように今は 博物館 だけとわずかの庭だけが残され 残りは売却されて 残っていません。


Unsere Mütter hatten schon nebeneinander auf den grünen Bänken Im Garten des JapanischenPalais ander Elbe gesessen.
ケストナーが子供の頃遊んだ 近くにある 日本宮殿 JapanischesPalais
私たちふたりの母親は 私たちが乳母車にねていたころ エルベ川のほとりの日本宮殿の庭のベンチに並んで 腰かけたことがあった。( Als ich ein kleinerJunge war.66ページより)


日本宮殿 JapanischsPalaisの庭は エルベ川と隣接しており裏庭から 望む 対岸のドレスデン中心部
この日本宮殿は屋根の形が日本的というだけで中には全く日本的なものは何もなく失望する。

戻る