2005年06月

カラヤン最後のベルリンフイル? (2)

彼はドッセルドルフの旅行会社に顔が広く 抜群の交渉力で 無料で交渉したというのです。 

土曜の飛行機でベルリンに発ち その夕方 ベルリンフイルを聞いて翌日の日曜日はベルリンの市内見物 しかも カラヤンは長期療養後の初出演で今回が恐らく最後の指揮となるだろうから 是非見ておいた方が良い との彼のアドバイスでした。

勿論異議がある訳ではなく又土日曜は何も予定がないので即座に参加させてもらうこととしました。ところが翌日 日本から下記のようなテレックスが来ました。

 『突然で 申し訳ないが  シュバルトバルトのドイツ Thomson とニュールンルグ Grundigを訪問したいからアテンドして欲しい。今度の日曜の朝 8時にドッセルドルフ空港に迎えに来て欲しい。』

と 日頃大変お世話になっている 秋田の工場の事業部長からの要請でした。 当時アンカレッジ経由でしか 欧州に来れなかったので 日本からの出張者のほとんどは 日本を金曜又は 土曜夜 出発して 土曜か 日曜の早朝 ドッセルドルフ着 となり  我々駐在員としては右も左もわからない日本からの出張者を 飛行場にピックアップして ホテルに 届け 土日曜を返上して 面倒を見ることも 大きい任務のひとつ でした。


ベルリンフィルハーモニー 2004年8月5日撮影

Herr Rieger に事情を説明し 折角のベルリンフィル行きを楽しみにしていたが こういう事情で参加できない。キヤンセルして欲しい旨 伝えると 非常に残念な顔をして 自分の席に帰り 何やら調べて しばらくして又 私のところに来て 日曜は早朝6時ベルリン発 ドッセルドルフ着7時の飛行機がある。土曜日は予定通りカラヤンを聞みているほ ういて 日曜日の市内見物だけ キヤンセルしたらどうか とのアドバイスがあり 彼の指示通りに 土曜日の飛行機で 学校の先生で賢夫人の奥さんを伴った リーガー夫婦と N君と4人で ベルリンに出かけました。


カラヤンの偉業をたたえて 横の通りは 彼の名前の Herbert von Karajan Stras se となっています。 2004年88月5日撮影

ベルリンフイルハーモニーでの席は 1階の前から5番目の上席で カラヤンがすぐ見える場所でした。最後の指揮と云われるだけあって カラヤンは鉄製の手すりがついた鉄柵に囲まれた指揮台の中でフラフラしながら今にも倒れそうな しかしそれでも 倒れない たくましい精神力で 一生懸命な指揮でした。

1908年生まれのカラヤンは 当時ほぼ80歳 かな りの老齢で見ている方はヒヤヒヤしながら手に汗を握って見る チヤイコフスキーのピアノ協奏曲でした。カラヤンの指揮を見たのは 後にも先にも 私にとっては このときだけで それだけに大変印象深く 今でも昨日の出来事のように脳裏に焼きついています。  Rieger がいなかったら カラヤン は 一生見ることもできなかった訳で 彼に非常に感謝しています。

カラヤンは これが最後だと 言われながら その後も 演奏活動を続けられその2年後の 1989年7月16日 ベルリンの壁が崩壊するほんの少し前に 亡くなっておられ 私が見たのが 最後の指揮ではありませんが  Rieger がいなかったら ベルリンフイルにも 行く事はなかったでしょう。

赴任直後には 当時15人位しかいなかった事務所全員で 土曜日に泊まりかけで 保養地  Wiesbaden に 旅行し 皆で楽しい旅行をしたこと  Rotenburug 連れて行って貰ったこと そして 私が帰任する1週間前にドッセルドルフ近郊の森にハイキングに行ったことなどなど 彼とは楽しい思い出ばかりです。

一度どこかでお会いして お礼を言いたいと思っています。





なつかしいローテンブルグ Rohthenburug にて
左から 3 人めがリーガー  5 人めが 私です。赴任直後 Robtenburg  に2週間ホームスティーして Goethe Institute にて楽しく ドイツ語を勉強した 忘れられない 思い出の地です。

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