2005年05月

カラヤン最後のベルリンフイル? (1)

3月29日から 4月6日まで フランス・ドイツの旅をしました。 フランスでは はじめての モンサンミッシェルに行けましたが フローベルの故郷 ルーアンでは 前にご報告したように  生肉を食べたため ひどい下痢にあいましたが 無事日本に帰って来れて 本当に幸運でした。その後尼崎の事故の日の4月25日 私の乗った同じルートの パリーモンサンミッシェルのバスが横転して 日本人観光客 3人が死亡した とのニュースに 運命 というものを 感じました。人間は明日どうなるのか 誰もわかりません。 生きているだけで ありがたいことです。

ところで 久しぶりに 私がドッセルドルフに来るというので 私の秘書を4年間やって頂いた ダールホイザー婦人が 昔の同僚を集めてくれました。私は 1981年8月から1986年12月末までドッセルドルフに駐在しました。昔の同僚といっても当時の日本人はとっくの昔に帰国しているので ドイツ人だけです。

今回の旅行最後の日 4月4日(月) ドッセルドルフHotel Nikko の近く Oststrasse にある大変なつかしいビヤホール  Brauerei Schumach に 4人のドイツ人が集まってくれました。 
Brauerei とは ビールの醸造工場のことで 裏にドッセルドルフ名物のアルトビール工場があり、 この茶黒色のビールの味に慣れるともう他のビールはまづく 飲めない というものでした。
ドイツには 1000位の  Brauerei があり それぞれ 独特のビールを製造しているのは 日本の 酒のようなものです。
ところで そこに集まってくれた 4人のうち2人は現役 あとの二人は引退して 悠々自適の年金生活といったところでした。 私が会いたかった二人は 私が帰任後 すぐ会社を退社してその後 未だに行き先が不明でした。 10年前にドッセルドルフに来たときも 会えなかったので今度はと淡い期待を以っていたのですが、やはり 会えませんでした。そのうちの一人は Herr Rieger でした。

私のドッセルドルフ駐在の 4年5ヶ月は単身赴任であってためにまわりのいろんな方から 家庭のパーティに誘われたり 暖かいご配慮を頂き 全く寂しさを感じませんでしたし,尚且つ この間 ドイツ語フランス語も勉強できましたので私にとってのサラリーマン生活の中で 最も充実した時期でもありました。 
 その間 暖かい手を伸ばしてくれた一人が  Herr Rieger でした。
赴任する前に出張ベースでドイツの得意先に訪問している時から 度々通訳として同行してくれ 彼の愛用のポルシェで アウトバーンを時速 200キロのスピードで フランクフルト近郊の得意先に行くのが楽しみでした。 彼は典型的なドイツの車気違いでもありました。


私が帰任する直前の日曜日一緒に行ったドッセルドルフ近郊の森で。
結果として私の送別会となりました。1986.12.21撮影したもの。
私がおみやげに日本から買った子供用の手袋を 子供が手にはめてきた。 寒かったが天気のよい日で リーガーと過ごした 楽しい一日でした。左から二人目がリーガー左端が私。

1985年春のことです。 Riegerが 月曜の朝早く 私のところに来て 今度の土日曜の 「ベルリン見物とカラヤン指揮のベルリンフィルファーモニーを聞くツーア」の切符が  4枚売れ残っていたので 無料で交渉して手に入れて来た。

自分も奥さんを連れて行くが 私ともう一人の独身の N君と一緒に参加しないか との話を持って来ました。
彼はドッセルドルフの旅行会社に顔が広く 彼独特の交渉力で 無料で交渉したというのです。
 土曜の飛行機でベルリンに行きその夕方 ベルリンフイルを聞いて翌日の日曜日はベルリンの市内見物 しかも 79歳のカラヤンは長期療養後の初出演で今回が恐らく最後の指揮と云われているので 是非見ておいた方が良い との彼のアドバイスでした。
勿論異議がある訳ではなく又 週末は何も予定がないので即座に参加させてもらうこととしました。  ところが・・・

   ----  続く ----

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