2005年01月

Grassmann! Wo bist du? グラスマンよ,どこにいるの?

私は長年電子部品メーカーに勤務し その電子部品の販売促進のため 1982年から1986年までドイツの営業所(ドッセルドルフ)に駐在しました。 いままでに 幾度となくドイツ・フランスを訪れましたが 今度 ドイツに行くときには Grassmann に会いたいと 思って 今 彼を探しているところです。

Grassmannとは 私が ドイツ勤務中に社長の命令に反して採用した唯一のドイツ人 セールスエンジニアです。 私が日本に帰任した後 残念ながら彼は 一部の野蛮な日本からの出張者と衝突して会社をやめましたが 私が愛したドイツ人の一人でした。 

私がドイツ赴任を命ぜられた時 当時の社長から呼びつけられ 「今回の君のドイツ赴任は お前の勉強のためである、従って ドイツに行ったら ドイツ人をあごで使ってはならぬ。ドイツ人を雇用してはならぬ。何事も自分一人でやれ!ドイツ・フランスの得意先にはひとりで行け ドイツ人を同伴してはいけない。」と というご命令でした。社長は

欧州では 今や英語でどこに行っても通じると思っての発言でしたが 何度も欧州に出張してドイツ語フランス語の必要性を身体で知っている私には冷や汗ものでした。当時フランスには営業所がなく フランスも含め 全て ドッセルドルフの営業所からカバーしておりました。

 大学の教養課程で 真面目にドイツ語を 勉強しなかったし それもかなり昔の頃のことだったしフランス語に至っては全く勉強したこともありませんでした。

ドイツで仕事をすることは かねてよりの念願でもあったし 折角のありがたいチャンスを断る訳にもいかず 喜びと不安一杯の気持ちで 赴任しました。

当時 1980年代は 日本のTV,VTR オーディオ機器を中心とする民生機器が欧州市場を制覇した時期でもありました。 ドイツでは テレフンケン、ザバ、ノルドメンデ が 倒産し フランスの国営企業トムソンに買収され 名門 グルンデイヒ が オランダに

本拠地を置く 国際企業フィリップスの傘下に入るという 欧州再編成の時代に突入しました。欧州のTV VTRメーカーも『 ネタが悪くては旨い寿司は出来ない』ことに気付き 日本の電子部品を仕入れなければ日本のメーカーには対抗できないと 方針を転換し 。

• 日本に買い付け機関を設置・・・日本フリップス、日本ボッシュ、日本トムソンの設置し
• フランス ドイツの 工場の窓口には 英語が話せる仕入れ担当の配置し
• 我々電子部品メーカーに対しては 現地商社経由の販売を止め メーカーとの直取引
を要求して来ました。
従来 我々日本の電子部品のメーカーには 各社とも フランス語ドイツ語を話し直接交渉できる人材がいないので フランス・ドイツの商社に 手数料を払って 商社経由の取引をしていました。しかし 今度は窓口に英語を話せる人材を配置するので 商社をカットして 直接取引きとし その手数料の分だけ安くしろということです。

 そこで私の任務は 従来商社任せでほとんど訪問していなかった大手得意先に現地にて専任で担当し絶えず得意先の情報をいちはやくキヤッチして わが社の部品を設計の段階から組み入れてもらう販売促進活動でした。 ところが 上記の動きがあるのはTV.VTR オーデイオ の 業界だけで 自動車業界・通信機業界ではこの関係の電子部品は 欧州域内での調達で充分間に合っているという 状況でしたので 技術者以外は英語を理解しない人ばかりでした。

この間の事情を社長に説明したものの よく理解して貰えませんでしたので 一部の得意先では さまざまな苦労を致しました。

•  ドイツ語を話さない者は一人で来るな ---

赴任をして未だ 1ヶ月しか 経過していない頃 通信機メーカー用の電子部品の新製品ができたので ベルリンのボッシュ通信機工場にPRに行って欲しい との依頼が 日本の工場から来たので 訪問したときのことです。
    -  続く -


Bosch通信機工場がある Berlin,の 壁博物館・Haus am Checkpoint Charlie 前にて
1961年8月13日のベルリン封鎖当時の様子や、東側から逃れてきたときのいろいろな ルートや手段がパネルや写真や車が展示され 当時の人々の 悲壮な生き延びたい生々しい姿が 我々の心を打ちます。

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