2004年12月

ポツダム行き車中の不思議な体験(3)

「森鴎外の博物館は フンボルト大学の付属機関で あのご婦人は  フンボルト大学の教授なのですよ。そしてあの古い建物は 森鴎外が下宿して いたところです。ところで ベルリンの他はどこに行きましたか?」

「フランクフルト から  ICEで フルダ アイゼナハ エアフルト ワイマール ライプッチヒ ドレスデン  マイセン ベルリン です。ゲーテが生まれた家 活躍したワイマールの家 その他 バッハ ルター リスト メンデルスゾーンの家 それから『 二人のロッテの 』・のケストナー博物館に ・・行きました。



ライプッチヒの 『 滝廉太郎 の 像 』 の 傍らにて (2004年8月1日撮影)

ライプチッヒには 留学した 滝廉太郎の 像があったのには びっくりしました。」

「デュッセルドルフ駐在時は何をしていたのですか? 」

「わが社の電子部品をドイツのTV自動車 などのメーカーに売り込む仕事でした。 

私は 20年前のドイツの出来事を 少しづつ思い出して 自分史として書いております。

実は 丁度 ドイツ語が出来なくて失敗した時のことを 書いているのですが

その読み間違いをしたテレックス を 失くしてしまい見つからないので 自分で思い出してドイツ語のテレックスを 作りました。

実は ライプチッヒの郊外で 公文の教室を開設しているドイツの方と会うつもりでしたが 残念ながらお会いできなく その方に教えて頂こうと持ち歩いているドイツ語の原稿があります。恐れ入りますが 今 見て頂けますか?」

「エエ 勿論です。」

ということで   1983年のイーゲーメタルのストライキの時のことを少し説明し

兼ねて持ち歩いていた 私のつたないドイツ語の 原稿を見せました。


『 事情が緩和したので もう空輸の必要はない。今までに何日に何個がすでに 空輸されているか 連絡して欲しい』
Die Lage hat sich entspannt, Sie brauchen die Sendung nicht per Luftfracht zu schicken
Wir werden sehr dankbar , wenn Sie uns informieren köntten. wann und wieviel Stück schon per Luftfracht verschickt würde ?

「 この日本文を独訳して 正しいかどうか見ればよろしいのですね。
  少しドイツ語の方が 丁寧すぎる のですがそれを除けば良いですよ
  日本文の最後の方が ホラ 丁寧でないでしょう。」

と  連絡して欲しい  のところを 指で指し示しながら 教えてくれました。

この時間が わずか1分もない位短い間に 電車が動く中で パッと ドイツ語

と日本語を 見て 即座の解答で 彼の頭の良さ が 見てとれました。( 余りの短い時間での彼のコメントだったので 彼の見落としがあるのかも知れませんが)

丁度その頃 電車が終点に着きました。彼は 私をホームが見えるところまで

連れて行ってくれ

「 あそこの 1番線 で 待っているのが ポツダム行きの電車です。」

すぐその電車が すぐ出発するものと思い 急いで丁寧に お礼を言って別れました。

急いだのでそのドイツ人の方のお名前もアドレスも聞かなかったのは 大失敗でした。

年齢は40~45位でしょうか 好青年でした。 彼はドイツの壁 崩壊の1989年頃NHKに 現地採用されたのでしょう その後 NHK名古屋・東京 勤務となるが 正社員として採用にならなかったので( 本人の言によれば  NHKに残っても 外人は偉くなる可能性がないので )退社し ドイツに帰り 奮起して勉強をして ドイツの弁護士の試験に合格 現在はベルリンで 弁護士の仕事をしている。そして 日本滞在中に日本人のご婦人と結婚され 毎年 日本に夫婦で 帰っている ドイツ人の人を どなたか 心当たりのある方がおられたら 是非教えて頂きたい と思っています。

そのとき 私自身も自分の名刺を持っていなかったのも 余りにも軽率でした。

 是非 そのドイツ人の方にクリスマスカードとか お礼のお手紙を差し上げたいと思っています。

  NHKに 勤めた 高校の同級生が 二人いるので 調べて貰ったら 職員名簿には載っていなく 知っている人を探して貰っているのですが 今のところ 未だわかっておりません。


帰りのバスで 乗り換えたポツダム市役所前のバス停

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