2004年07月

私のアテネ ・・ まぼろしのロードス島(1)

アテネのオリンピックが近づくにつれて 毎日ように選手の活躍を期待して アテネ が新聞テレビ に登場するようになりました。 しかし私にとってのアテネ は 大変忘れなれない 寂しい寂しい哀れな 旅でした。 ドイツでは休暇を Urlaub といい 祭日等の休みをFeiertag 学校の休日を Ferien 工場の休みを Betriebsferienといいます。しかし 日本語でいう我々の「休暇」と ドイツ人の云う「Urlaub」に大きい違いがあるのを住んでみると気がつきます。ドイツでは6週間の有給休暇があり 「Urlaub」というと 1ヶ月連続して旅行することを意味し 日本人が生活のため 家のローンのため働いているのに対して ドイツではこの「Urlaub」のために 働いているのです。200年前のゲーテの時代から ドイツ人にとって南の国へ旅行することは ドイツ人の夢であったようで 公文ドイツ語I教材121 ~ 150で学ぶゲーテのItalienishce Reise イタリア紀行にも 長年のあこがれの土地に来た感動と南国への憧憬をつぶさに表しています。これはドイツの天気が悪く というより寒く太陽が出る日が少ないから 太陽に対するあこがれ から来ていると思われます。 5月6月になってたまに暖かい太陽が出てくるとドッセルドルフの市内のライン川沿いの公園では 若い女性が多数肌もあらわなビキニ姿で日光浴をしている姿は 日本の日比谷公園では絶対にみられない風景です。 8月末に ドッセルドルフに 単身赴任し 住民登録・免許証などの 手続きが 一段落したら 未だ 9月初めだというのに 年末の休暇は どう過ごすのか と 秘書の Dahlhäuser さん 他 まわりのドイツの人たちが心配を始め  カナリ-島 が よい とか スペインのマヨルカ島 はドイツ語もある程度通じるしドイツの新聞テレビも見れるとか   パンフレットを 持って来てくれました。  しかし結局     日本人の経営する小さな旅行社の『 アテネ 行きの格安キップが あるので  暖かい ロードス島で 過ごされたら 如何でしょう?   寒い ドイツで 単身で寂しく 正月を 過ごすより はるかに良いですよ。』 という提案を受けることにしました。 その 旅行社で  12 月 28 , 29 日 の  2 泊を アテネ 30日から 正月にかけて6泊を   ロードス島の ホテルを予約してくれました。     『アテネから ロードス島 までは 景色を 楽しむことが出来るので  船で行ってください。船のキップは 港ですぐ買えるので 予約はしませんでした』 ということでした。
昼すぎに ドッセルドルフ を 飛び立った 飛行機は  100 人乗りの 小さな 飛行機で 
離陸し 禁煙の サインが 消えると 一斉に全員が タバコを 吸い始めました。
格安キップ とは いうものの 何ということはない ギリシャ から ドイツへ来ている Gastarbeiter (出稼ぎ)専用の 年末帰郷特別割引飛行機だということがわかりました。 タバコの煙で 息が出来ないほどでした。 ギリシヤ人の労働者は こんなにも タバコを吸うのかと びっくりしました。 
暖かいはずの アテネに到着したら 急に寒くなり 雨が降り出し それが 雪になりました。        
暖かいところへ行くという先入観から 軽装で来ていたので アテネで 傘を買い マフラーを 買い それでも 尚 寒いので 手袋も 買いました。 アクロポリスの丘の上に立つと 砂が寒風に飛ばされて目も開けられないようで 夢にみた パルテノン神殿も 悠久の歴史を 味わうどころではありません。   12 月 30 日 一刻も早く 暖かい ロードス島 へと Pireasの 港 へと タクシーを 飛ばすと 大きい港には 人っ子一人いなく 年末は休みであることは 人に聞かずとも明白でした。港に降りることなくそのタクシーでホテルに引き返し市内の旅行社に行きロードス島行きの 飛行機便はないか 調べたところ 行きはあるものの アテネに帰る便が満席とのこと。ロードス島行きを諦めてもうドッセルドルフに帰ろうと アテネ⇒ドッセルドルフの飛行機は空席があったので帰る手続きをしたら私の航空券は格安切符なので 変更はきかないとのこと。 この 寒いアテネに尚  1 週間一人で滞在するのかと思うと 気が遠くなりました。 ギリシャのどこの街に行っても聞こえてくる哀愁を帯びたトルコ風な音楽がますます 寂しさを身にしみさせました。 ― 続く―

戻る