2003年11月

Avignonアヴィニオンの橋の上? Tarascon タラスコン(2)

はじめてみる ローム川にかかる アヴィニオンの橋は 奇妙にも 途中で 切断され しかも横幅が 予想より遥かに小さいもので 横に並ぶと 3~4人 しか並べない もので びっくりしました。 『Avignonアヴィニオンの橋の上で 踊るよ踊るよ アヴィニオンの橋の上で 輪になって踊る・・・・・』 というけれど どこで踊ったのだろう そして  都会からこんなに 離れたこの静かな小さな町の歌が どうして世界的に 有名なのか? 又 そんなに有名な橋が 洪水で切断されたまま 放置してあるのか ?  と 瞬間的に思いました。 橋の対岸には すでに道はなく 手前の 橋が 実用に使用されているので 今はAvignon の橋 は 飾りの橋で 撤去してしまっても 実用上は 誰も困らないのですが 世界的に有名になった橋なので 観光用に 残してあるのでしょう。後で調べてみると この橋は 聖ベネぜ橋 Pont St-Bénézet といいたびたびの洪水で 橋が流され現在に至っている とのこと。 又 Sur le pontで どうして踊れたかという疑問については

篠沢 秀夫 著 「フランス語の常識 」白水社 には 下記のように書いてあります。

日本にまで知られている民謡 「アヴィニオンの橋の上で」 Sur le pont d‘avignion は南仏プロヴァンスの地方の古都の歌だ。
だが聖ベネセ橋は 歩行者用で狭い。輪になって踊ったのはどうも陸地部分の橋を支えたアーチの下だった(つまり橋の下)。
つまり この民謡は もともと "Sous le pont" (橋の下で)という歌詞だったのが "suos" (下で)と"sur"(上で)が 発音がよく似ているので いつの間にか "Sur le pont" (橋の上で)になってしまったということですが  橋の下では詩的ではなく そんな歌が世界的に普及する訳がなくどうも納得がいきません。 私の想像では 一時期 法王が ローマでなく アヴィニオンに住んでいたことがあり イタリアの影響で フィレンチェの橋のように 切り落とされて現在はない橋の部分に丸い 踊り場が あったのではないかと思います。 やはり 昔の人々が橋の下でなく 橋の上の踊り場で楽しく踊っている姿を夢見たいものです。
                     続く

アヴィニオンの地図です。ローヌ川の曲がり角のところに かかる橋がアヴィニオンの橋 です。 途中で切断されていることがおわかりと思います。
橋の 向こう側には もはや 道はなく 手前の橋から 対岸の ヴイルヌーヴレェザヴィニオン 行けるようになっています。

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