2003年01月

はじめてのドイツ語


『ドイツに4年間駐在していました』 というと 『ドイツ語が余程御出来になったから派遣されたのでしょうね。』 と よく言われます。 確かに 教養課程で ドイツ語を とり 単位も取って 卒業しましたが 12月の同窓忘年会で ドイツ語の話が出てお前はドイツ語の成績は何だったか? と誰ともなく 言い出すと 大半の者が『俺は C だったよ』と答えていました。当時 慶応の日吉の教養学部では A B Cが合格点で D が 不合格でした。しかしC というのは 下駄を履かせてもらったお情け点でした。 中には先生の自宅に ウイスキーを 持って行って Cに して貰った 御仁も いて のどかな時代でもありました。

それでも 英語は ESS などあって 一生懸命 勉強する人もおりましたが

当時 誰も 海外に行って ドイツ語を使うなど 夢にも思わない時代でした。従って 

何のためにドイツ語を勉強するかという明確な目的がないので 誰も真剣に勉強する者もなく やる気の無い生徒ばかりで先生も張り合いがなく退屈な講義でした。

よく社会人の方から 学生時代に勉強しないと 社会にでたら勉強する時間はないよ。

と言われましたが その当時は 何と言われても 理解できず まさかドイツに赴任するなど 夢にも思わなかったので 後になって後悔しております。

当時 アルバイトもなかなか 無くて 学校の教務部でも アルバイトの紹介もしておりませんでしたので  クラスメートのN君が 家庭教師をしたい というので 二人で田園調布の駅を起点にして 一軒一軒 家庭訪問して 『 慶応の学生ですが 家庭教師をさせて頂けませんか?』と 言いながら 戸別訪問しましたが 軒並み玄関払いで 宝来公園の近くまで来て 

ある家で 『 うちには 小学校の先生に来て貰っているから 家庭教師は要りません』と 女中さんに 言われ『ああ  そうですか』 と帰ろうとすると 奥さんが 出て来て 『 ちょっと 慶応の学生さん お茶でも 飲んで行きませんか』と お茶の間に通されて 『 実は うちの子は 一人子で 兄弟がいないし お父さんは いつも出張で家に居ないので うちの子の 兄弟になって呉れる人を探しているの誰か下宿する人を 紹介してくれない?』というお話でした。 

私は 下宿していたので 『 私は どうですか』ということで 私がそこに下宿することになりました。そのN君は 勉強家で優秀な成績で卒業して 大会社に就職して 後で ロンドン支店長を振り出しに ドッセルドルフ支店長 イタリー支店長として 海外で過ごし 英語は堪能ですがドイツ語は 全く出来ないようです。お偉いさんで 英語の話せるドイツ人と仕事をしていたのでドイツ語は必要なかったからです。

私が勤めていた会社は当時 業界が急成長でしたので 語学が出来る人を養成している暇がなく 市場を開発できる専門知識のある者を 優先して海外に派遣しており 赴任に当たって副社長から『 ドイツでは 自分は何もしないで ドイツ人をアゴで使ってはならない。

得意先には 一人で行け 』 というキツイお達しでした。いろいろと苦労もし 失敗もしました。 しかし大変勉強になり、感謝しています。

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