2001年07月

La derniere class 最後の授業

「みなさん、私が授業をするのはこれがおしまいです。アルザスとローレーヌの学校 では、これからドイツ語しか教えてはいけないという命令がベルリンから来ました...」

<Mes enfants, c’est la derniere fois que je vous fait la classe.
L’ordre est venu de Berlin de ne plus ensigner que l’allmemand dans les ecoles de L’Alsace et de la Lorraine...>


これは 1870-71年のプロシア・フランスの戦争で アルザス・ロレーヌ地区が プロシア(1871年にドイツが統一される前にドイツ北部の大半をしめる大強国)に 占領されたときの史実をドーデが 「アルザスの学校を舞台にした悲劇の短編」にまとめたもの としてよく知られています。

 これが 日本で 「今日が日本語を 教える最後の日です」ということになっていたら どうでしょうか? 戦争は人間を狂人にします。 日本のその狂人たちが 過去に 東南アジアを侵略し 婦女子に暴行を働き 台湾・韓国・中国の一部で日本語の教育を強制して来ました。その恨みが 未だに 教科書問題・従軍慰安婦 の 問題を 引きずっています。 アルザス地区はその後も重なる戦争に巻き込まれ 1871年~1918年 ドイツ領1919~40年 フランス領 41年~44年 ドイツ領 45年以降 フランスと 数奇な運命を 歩んでいます。アルザスの人たちが 過去に 如何に 痛みに耐えて来たか 想像に 絶します。


1945年8月11日 雲ひとつない晴天の昼前 稲妻のような 光 が 部屋の中まで入ってきました。長崎の方に小さな赤い雲が見えたかと思うと それがだんだんと大きくなりました。 翌朝の新聞で 長崎の惨状と原子爆弾のことを知りました。そして終戦    アメリカ軍の進駐の日隣のおじさんが 「米兵は何をするかわからないから私の花岡山の別荘に逃げなさい」と真剣な顔で言われ 当時私を頭に3人の子持ちであった28歳の母と別荘に居候させてもらいました。私の父も含め 40歳以下の男性は 皆戦争に借り出され 残された隣組の人たちは 一致団結して面倒をみてくれ 当時は今は見られない 暖かいものがありました。幸いにして アメリカ兵たちは 陽気で 紳士的でした。

今回 一度も行ってみたいと思っていました アルザス 及び 独仏の 国境地帯 に フランクフルトで レンタカーを 借りて 行くことにしました。

 続く、a suivre, Fortsetzung folgt

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