1997年01月

Hanau~Grimm兄弟 前公文公会長と私

1)das Gasthaus の 思い出

 ある寒い年の2月半ば頃、突然 ドイツ出張を命ぜられた。

2月末より始まる フランクフルトメッセに 行って 市場の動向を 調べろ と いうことであった。  Furankfurtmesse は ドイツの 最大級の製品見本市でその当時 私は新製品の 市場開発を 国内でやっており 海外へは 未だ行ったことがなかった。 

ドユッセルドルフの 事務所に ホテルの 予約 依頼と 誰か 英語の話せる ドイツ人 の 同行を 求めた。早速 返事は来たが フランクフルト は ホテルが全くない。 Hanau と いう郊外の 町に

Gasthaus Schroeder というところに 予約が取れたとの 連絡が 入った。

 以前, 駐在経験のある G さん に Gasthaus とは何だと聞くとゲストが 泊まる 豪華な ホテルだという。ところが出発の前日になったら 緊急の会議で フランクフルトには 誰も行けなくなったというTelexが 入った。 一人で メッセに 行って ドユッセルドルフに 来てくれ。 空港に 迎えに行くとのことであった。

 当時, 未だ ヨーロッパ 直行便は 無く アンカレッジ 経由で 金曜の夜 羽田を 発ち フランクフルトに 土曜の 朝 5時頃 着いた。

 タクシーで Hanauに 着いた。 東京でいえば 一橋大学の ある『 国立 』程度の 小さい町で あった。 運転手さんが 何度も 車を止めて 人に 道を 聞いている。 豪華なホテルだというのにおかしいなア と思っていると 何だか 薄汚い 一杯飲み屋 といったところの前に止まった。 その横に Gasthaus Schroederと 書いてあるではないか!

 大きい荷物を 降ろして貰って ドアを開けようとしたが 押しても引いても 開かない。 何やら ドアに 何か書いてある 札が ぶら下がっている。 プロレスラーのような良い体格の 運転手さんが ドンドンドンドンと 大きい声で叫びながら10分以上叩いていたら やっと3階の窓から いやな顔をした おばあさんが 顔をだした。 しぶしぶ降りてきて 部屋に案内して貰った。 四畳ぐらいの 部屋に 小さな洗面の 蛇口とベッドが あるだけで全く殺風景な部屋であった。

 トイレや シャワーは何処にあるのか 聞いたが ドイツ語で 二言 三言 何かしゃべって 鍵を おいて 何処かへ消えてしまった。

 出張前にはヨーロッパは英語で 話が通じるものだと思っていたので ドイツ語の辞書を持って来るのを忘れたのに気がついた。急いで本屋に辞書を買いに行った。 鍵のかかった BAD と書いてある 扉のところが 風呂場だろうと 思っていたら その通りであった。

小さい玄関にかかっていた札には ” Samstag is geshlossen" ( 土曜日は休みです。) と 書いてあるでは ないか!

 町に行っても 小さなレストランしかなく 閉ざした ドアに タイプした メニューが貼り付けてあるだけで 何だか 恐くて中に入れなかった。日本のように親切に 見本を表にだしてあるところは 1軒もなかった。
 お昼ごろになって町の広場に行くと 朝市がたっており にぎやかな掛け声で ツバイマルク!ツバイマルク!と叫んでいる。バナナのたたき売りのようなものだ。

そこで 果物を 3~4個 買って更に歩いて行くと 中華料理店が あった。メニュー に漢字も 併記してあり 何とか わかったので やっと 食に ありつけた。

 食事が終わって ガストハウスの 方へ 帰ろうと 広場に通りかかったらびっくりした。 あんなに 騒々しい程 人が 集まっていたのに人っ子ひとりいないではないか。魔法使いが 一瞬の 内に 人を 消したのかな と 思うほどであった。広場に 人が居なくなってみると 立派な銅像があるのが目立った。

座っている紳士の後ろにもう一人 仲良く立っている 二人の銅像であった。しかしなんとなく 印象深いものが あった。

後で 判った事であるが 土曜日は 午後2時に デパートを はじめとして すべて店が 閉店することが 法律で 決められている との ことであった。

 その夜は 無味乾燥な 壁を見ながら 一人で 昼買った フルーツを 食べた。 これが 私のヨーロッパの 第一日であった。

翌日 無人駅の ハナウ駅より 鉄道で フランクフルトへ 行って フランクフルト・メッセ に行った。一応 その日の 目的を達して帰る時に 偶然 得意先の H社の 専務さん と一緒になった。フランクフルトの 駅まで行くといったら 自分のホテルに寄って行けという。 彼の ホテルは インターコンチネンタルホテルであった。

帝国ホテルの ような豪華なところでまさに 『 天国と 地獄 』とはこの事だと GASTHAUSに 泊まっていることを 話すと 自分たちは一年も前から 予約しているのだという。 日本では 例え モーターショウのような 大きい ショウが あっても 東京で ホテルが 取れないという事はない。 想像もつかないことである。

 

Gasthaus とは 田舎の 食堂兼 木賃宿 の ようなもので、 日本に帰って日本の辞書で調べたらどのドイツ語の辞書にも載っている。

 日本に帰って 何気なく NHK教育テレビ ”高校歴史の 番組”のテレビを見ていると 何と あの ハナウの広場が出てきた。 そして あの銅像が 大写しになった。 全く びっくりした 、それは グリム兄弟だった。 

銅像には "Jacob und Wilhelm Grimm "と 書いてあるが 当時の 私には 知る由もない。

その後 ハナウにも 立派な ” Hotel GebruederGrimm ” と いう ホテルが出来 その後は 新しい ホテル に 何度か 泊まったが " Hanau" は 私には忘れる事が出来ない 処女地 である。

 

2)『 前 公文 公 会長 の 思い出 』

その後 社命にて 1981年から1986年まで Dusseldorfに駐在することと なったがグリム 生誕 200年 (1985年 ) の 時 故 公文 公 会長 が 公文の 指導者の 方々と 一緒に『グリムの メルヘン街道を 旅するツアー 』に おいでになり 私も 前 公文 公 会長 のお供をした。

Hanau を 基点 として Steinau の メルヘンハウス・マーガーズッペ劇場 。グリム が 学生時代 を 過ごした Marburg 。 ”赤ずきん”の 博物館 のある Schwalmstadt 。中世の木組みの ある市庁舎のあるAlsfeld 、などなど 公文 公会長 及び ご家族の 方々と 一緒に町を 歩いた。

 Alsfeldの 町の 中で 囚人を 繋いで置く 鎖と 首輪 みたいなものがあって ガイドさん より その 首輪の 由来 を 聞くと 公文 公 会長 は 囚人の まねを して その 首環 に ご自分の 首を 入れて おどけてみせられた。 奥様に たしなめられておられたが 偉大な 大先生にも こんなに 茶目っ気 の 一面 も あるのだナ と 思った。

 特に Steinauの メルヘンハウスでは 今でも 200 年 前の グリムのころの 菩提樹が残っており 公文 公会長が 思わず 歌われた。

 Am Brunnen vor dem Tore, da steht ein Lindenbaum;

ich traumt in seinem Schaten so manchen suessen Traum;

......

に始まる 菩提樹の 歌 、旧制高校の 時代に 覚えたとおっしゃっていたが なんと 記憶力の良い お方だ と 感心 した。

この時以来 菩提樹の 歌を聴くと 前 公文 会長の ことを 思い出す。そして 公文 公会長 はドイツ語・フランス語 の 新設 の 抱負を 熱心に 語っておられた。

そして 今 公文式ドイツ語・フランス語を 通じて、社会の幾多の方々 に 、世界に 目を 開く 光を与える仕事 を させて 頂いていることに、自分は幸せだと 毎日 思っている。

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